五輪書 / 風の巻
右他流の兵法を九ケ条として風の巻に有増書付る所一々流々口より奥に至るまでさだかに書顕すべき事なれ共わざと何流の何の大事共名を書しるさず其故は一流一流の見たて其道其道のいひわけ人により心に任せてそれぞれの存分有ものなれば同じ流にも少々の替るものなれば後々までの為にながれ筋共書のせず他流の大体九ツに云分て世の中の道人の直なる道理より見せば長さにかたつき短きを理にし強き弱きもかたつきあらきこまかなると云事も皆へんなる道なれば他流の口奥と顕はさず共皆人の知るべき儀也我一流に於て太刀に奥口なし構に極りなし唯心を以て其徳を弁ふる事是兵法の肝心也正保二年五月十二目新免武蔵寺尾孫之丞殿寛文七年二月五日寺尾夢世勝延花押山本源介殿
書き下し
右、他流の兵法を九ケ条として、風(ふう)の巻に有増(あらまし)書き付くる所、一々流々、口より奥に至るまで、さだかに書き顕すべき事なれ共、わざと何流の何の大事共、名を書きしるさず。其の故は、一流一流の見たて、其の道其の道のいひわけ、人により心に任せて、それぞれの存分有るものなれば、同じ流にも少々の替るものなれば、後々までの為に、ながれ筋共書き載せず。他流の大体を九ツに云ひ分けて、世の中の道、人の直(すぐ)なる道理より見せば、長さにかたつき、短きを理にし、強き・弱きもかたつき、あらき・こまかなると云ふ事も、皆へんなる道なれば、他流の口・奥と顕はさず共、皆人の知るべき儀なり。我が一流に於て、太刀に奥口なし、構に極りなし。唯心を以て其の徳を弁ふる事、是れ兵法の肝心なり。 正保二年五月十二日 新免(しんめん)武蔵 寺尾孫之丞殿 寛文七年二月五日 寺尾夢世勝延(てらをむせいかつのぶ)花押 山本源介殿
現代語訳
以上、他流の兵法を九ヶ条にまとめてこの「風の巻」に大まかに書き付けた。本来なら各流派について、入口から奥義まで一つ一つ細かに書き記すべきところだが、あえてどの流派の何という秘伝と、名指しはしなかった。その理由は、流派ごとに見方があり、道ごとに言い分があり、人によって考えも異なり、それぞれの主張があるもので、同じ流派の中でも少しずつ違ってくるからだ。だから後世のために流派の名や系統までは書き載せない。他流のあらましを九つに分けて、世の中の正しい道、人としてまっすぐな道理から見れば、太刀の長さにこだわり、短さを理屈とし、強い弱いにかたより、荒い細かいというのも、みな偏った道である。だから他流の入口・奥義とわざわざ示さなくても、道理をわきまえた人にはおのずと分かることだ。我が一流においては、太刀に奥も表もなく、構えに決まった形もない。ただ心によってその働きの本質をわきまえること――これこそ兵法の肝心である。 正保二年五月十二日 新免武蔵 寺尾孫之丞殿へ 寛文七年二月五日 寺尾夢世勝延(花押) 山本源介殿へ
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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五輪書・風の巻他の兵法の流々を書き付け、風の巻として此の巻に顕す所なり。他流の道を知らずしては、我一流の道慥(たし)かに弁へがたし。他の兵法を尋ね見るに、大きなる太刀をとつて強き事を専らにして、其のわざをなす流有り。或は小太刀と云ひて、短き太刀を以て道を勤むる流有り。或は太刀かず多く、くみ太刀の構を以ておもてと云ひ、奥として道をつたふる流も有り。是れ皆実の道に非(あら)ざる事、此の巻の奥に慥かに書き顕し、善悪理非を知らするなり。我一流の道理、各別の儀なり。他の流芸にわたつて、身すぎの為にして、色をかざり花をさかせ、うりものにこしらへたるによつて、実の道に非ざる事か。亦(また)世の中の兵法、剣術斗(ばか)りにちひさく見たてて、太刀をふり習ひ、身をきかせて、手のかるる所を以て勝つ事を弁へたるものか。何れも慥かなる道に非ず。他流の不足成る所、一々此の書に書き顕すなり。能々(よくよく)吟味して、二刀一流の利を弁ふべきものなり。
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五輪書・風の巻太刀の数余多にして人に伝ふる事、道をうり物にしたてて、太刀数多くしりたるを、初心のものに深く思はせん為なるべし。兵法に嫌ふ心なり。其故は、人をきる事色々あると思ふ所、まよふ心なり。世の中に於て、人をきる事替る道なし。知る者も知らざる者も、女童子も、打ちたたききると云ふ道は、多くなき所なり。若(も)し、かはりては、つくぞなぐぞと云ふ外はなし。先(ま)づ、きる所の道なれば、数の多かるべき子細にあらず。され共、場により道に随ひ、上・わきなどのつまりたる所などいはば、太刀のつかへざるやうに持つ道なれば、五方(ごはう)とて五ツの数は有るべきものなり。夫より外にとりつけて、手をねぢ身をひねりて、飛び・ひらき人をきる事、実の道に非ず。人をきるに、ねぢてきられず、ひねりてきられず、飛びてきられず、ひらいてきれず、かつて役に立たざる事なり。我兵法に於ては、身なりも心も直(すぐ)にして、敵をひずませゆがませて、敵の心のねぢひねる所を勝つ事肝心なり。能々(よくよく)吟味有るべし。
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五輪書・風の巻兵法の事に於て、何れを表(おもて)といひ、何れを奥と云はん。芸によりことにふれて、極意・秘伝などいひて、奥口あれ共、敵と打ち合ふ時の理に於ては、表にて戦ひ、奥をもつて切るといふ事に非ず。我が兵法のをしへ様は、始めて道を学ぶ人には、其のわざのなりよき所をさせ習はせ、合点の早くゆく理を先に教へ、心の及びがたき事をば、其の人の心をほどくる所を見分けて、次第次第に深き所の理を後に教ふる心なり。され共、大形(おほかた)は其の事に対したる事様(ことざま)を覚えさするによつて、奥口と云ふ所なき事なり。されば世の中に、山の奥を尋ぬるに、猶奥へ行かんと思へば、又口に出るものなり。何事の道に於ても、奥の出合ふ所も有り、口を出してよき事も有り。此の戦の理に於て、何をかかくし、何をか顕さん。然(しか)るによつて、我が道を伝ふるに、誓紙・罰文(せいし・ばつぶん)など云ふ事を好まず。此の道を学ぶ人の智力をうかがひ、直(すぐ)なる道を教へ、兵法の五道・六道の悪しき所をすてさせ、おのづから武士の法の実の道に入り、うたがひなき心になす事、我が兵法の教への道なり。能々(よくよく)鍛錬有るべし。
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五輪書・風の巻短き太刀斗(ばか)りにて勝たんと思ふ所、実の道に非ず。昔より、太刀・かたなと云ひて、長きと短きと云ふ事を顕し置くなり。世の中に強力(がうりき)なる者は、大きなる太刀をもかろく振るなれば、むりに短きを好む所にあらず。其の故は、長きを用(もち)ゐて、槍・長太刀をも持つ物なり。短き太刀を以て、人の振る太刀の透間(すきま)をきらん・飛びいらん・つかまんなどと思ふ心、かたつきて悪し。又すきまをねらふ所、万事後手に見え、もつるると云ふ心有りて嫌ふ事なり。若(も)しは短き物にて、敵へ入り、くまん・とらんとする事、大敵の中にて役に立たざる心なり。短きにてし得たるものは、大勢をもきりはらはん・自由に飛ばん・くるはんと思ふ共、皆うけ太刀と云ふ物になりて、とりまぎるる心有りて、慥(たし)か成る道にてはなき事なり。同じくは、我身は強く直(すぐ)にして、人を追ひ回し、人に飛びはねさせ、人のうろめく様にしかけて、慥かに勝つ所を専とする道なり。大分の兵法に於ても、其の理有り。同じくは、人数かさを以て敵を矢場にしほし、即時にせめつぶす心、兵法の専なり。世の中人の物をしならふ事、へいぜいもうけつかはしつ・ぬけつくぐりつしならへば、心道にひかされて、人にまはさるる心有り。兵法の道、直にただしき所なれば、正理(せいり)を以て人を追ひ回し、人をしたがふる心肝要なり。能(よ)く吟味有るべし。
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五輪書・風の巻太刀に、つよき太刀・よわき太刀と云ふ事は有るべからず。つよき心にてふる太刀は、あらきものなり。あらき斗りにては勝ちがたし。又つよき太刀と云ひて、人をきる時にして、むりにつよくきらんとすれば、きれざる心なり。ためしものなどにきる心にも、つよくきらんとする事あしし。誰に於ても、かたきときりあふに、よわくきらん・つよくきらんと思ふものなし。唯人をきりころさんと思ふ時は、つよき心もあらず、勿論よわき心にもあらず、敵のしぬる程と思ふ儀なり。若(も)しはつよみの太刀にて、人の太刀つよくはれば、はりあまりて、必ずあしき心なり。人の太刀に強くあたれば、我太刀もおれくだくる所なり。然るによつて、つよみの太刀などと云ふ事なき事なり。大分の兵法にしても、つよき人数を持ち、合戦に於てつよくかたんと思へば、敵もつよき人を持ち、戦もつよくせんと思ふ。それはいづれも同じ事なり。物毎に勝つと云ふ事、道理なくしては勝つ事あたはず。我道に於ては、少しも無理なる事を思はず、兵法の智力を以て、如何様(いかやう)にも勝つ所を得る心なり。能々工夫有るべし。
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五輪書・風の巻太刀の構へを専らにする所、ひが事なり。世の中に、構のあらん事は、敵のなき時の事なるべし。其子細は、昔よりの例、今の世の法などとして、法例をたつる事は、勝負の道には有るべからず。其あいての、あしき様にたくむ事なり。物毎に構と云ふ事は、ゆるがぬ所を用(もち)ゐる心なり。或は城をかまふる、或は陣をかまふるなどは、人にしかけられても、つよくうごかぬ心、是れ常の儀なり。兵法勝負の道に於ては、何事も先手先手と心懸くる事なり。かまふると云ふ心は、先手を待つ心なり。能々(よくよく)工夫有るべし。兵法勝負の道、人の構をうごかせ、敵の心になき事をしかけ、或は敵をうろめかせ、或はむかつかせ、又はおびやかし、敵のまぎるる所の拍子の利をうけて勝つ事なれば、構と云ふ後手の心を嫌ふなり。然る故に、我道に有構無構(うこうむこう)といひて、構は有りて構は無きと云ふ所なり。大分の兵法にも、敵の人数の多少を覚え、其戦場の所を受け、我人数の位を知り、其徳を得て、人数をたて戦をはじむる事、それ合戦の専なり。人に先をしかけられたる事と、我人にしかくる時は、一倍もかはる心なり。太刀を能(よ)く構へ、敵の太刀を能く受け、能くはるとおぼゆるは、槍・長太刀を持(も)ちて、さくにふりたると同じ。敵を打つ時は、又さく木をぬきて、槍・長太刀につかふ程の心なり。能々(よくよく)吟味有るべき事なり。