五輪書 / 風の巻
兵法の事に於て何れを表といひ何れを奥と云ん芸によりことにふれて極意秘伝などいひて奥口あれ共敵と打合時の理に於ては表にて戦ひ奥をもつてきると云事に非ず我兵法のおしへ様は始て道を学ぶ人には其わざのなりよき所をさせならはせ合点の早くゆく理を先に教へ心の及がたき事をば其人の心をほどくる所を見分て次第次第に深き所の理を後に教る心也され共大形は其事に対したる事様を覚えさするによつて奥口と云所なき事也されば世の中に山の奥を尋るに猶奥へ行んと思へば又口に出るもの也何事の道に於ても奥の出合所も有口を出してよき事も有此戦の理に於て何をかかくし何をか顕さん然によつて我道を伝るに誓紙罰文など云事を好まず此道を学ぶ人の智力をうかがひ直なる道を教へ兵法の五道六道の悪しき所をすてさせおのづから武士の法の実の道に入うたがひなき心になす事我兵法の教への道也能々鍛錬有べし
書き下し
兵法の事に於て、何れを表(おもて)といひ、何れを奥と云はん。芸によりことにふれて、極意・秘伝などいひて、奥口あれ共、敵と打ち合ふ時の理に於ては、表にて戦ひ、奥をもつて切るといふ事に非ず。我が兵法のをしへ様は、始めて道を学ぶ人には、其のわざのなりよき所をさせ習はせ、合点の早くゆく理を先に教へ、心の及びがたき事をば、其の人の心をほどくる所を見分けて、次第次第に深き所の理を後に教ふる心なり。され共、大形(おほかた)は其の事に対したる事様(ことざま)を覚えさするによつて、奥口と云ふ所なき事なり。されば世の中に、山の奥を尋ぬるに、猶奥へ行かんと思へば、又口に出るものなり。何事の道に於ても、奥の出合ふ所も有り、口を出してよき事も有り。此の戦の理に於て、何をかかくし、何をか顕さん。然(しか)るによつて、我が道を伝ふるに、誓紙・罰文(せいし・ばつぶん)など云ふ事を好まず。此の道を学ぶ人の智力をうかがひ、直(すぐ)なる道を教へ、兵法の五道・六道の悪しき所をすてさせ、おのづから武士の法の実の道に入り、うたがひなき心になす事、我が兵法の教への道なり。能々(よくよく)鍛錬有るべし。
現代語訳
兵法において、何を「表(初歩)」といい、何を「奥(極意)」というのか。武芸によっては折にふれて「極意」「秘伝」などといって奥義と入口の区別を設けるが、実際に敵と打ち合うときの道理においては、表の技で戦い奥義で斬る、などということはない。我が兵法の教え方は、初めて学ぶ人にはやりやすい技から稽古させ、飲み込みの早い理から先に教え、理解の及びにくいことは、その人の心がほぐれた頃合いを見計らって、順を追って深い理を後から教えるようにする。とはいえ、たいていは実際に直面する場面に即して覚えさせるので、「奥」と「入口」といった区別はない。たとえば山の奥を尋ねて、もっと奥へ行こうと思えば、かえって入口(反対側の麓)に出てしまうようなものだ。どの道でも、奥に出会う場所もあれば、入口を出た方がよいこともある。この戦いの道理において、いったい何を隠し、何を(もったいぶって)示すというのか。だから我が道を伝えるのに、誓紙や罰文(秘密を守る誓約書)などは好まない。学ぶ人の理解力を見て、まっすぐな道を教え、兵法の誤った道(五道六道の悪いところ)を捨てさせ、おのずと武士の法の真の道に入り、迷いのない心にさせる――これが我が兵法の教えの道である。よくよく鍛錬すべきである。