五輪書 / 水の巻
此の打あひの利と云事にて兵法太刀にての勝利を弁ふる所也こまかに書しるすに非ず能稽古有りて勝所を知るべきもの也大形兵法の実の道をあらはす太刀也 口伝
書き下し
此の打ちあひの利と云ふ事にて、兵法太刀にての勝利を弁(わきま)ふる所なり。こまかに書き記すに非ず。能(よ)く稽古有りて、勝つ所を知るべきものなり。大形、兵法の実の道をあらはす太刀なり。口伝。
現代語訳
この「打ち合いの利」ということによって、兵法における太刀での勝ち方をわきまえるところである。細かく書き記すものではない。よく稽古をして、勝つところを(自分で)知るべきものだ。おおむね、兵法の本当の道を表す太刀(の教え)である。口伝(=詳しくは直接伝える)。
解説
水の巻の技法解説の締めくくりにあたる、ごく短い一段です。個々の打ちや受けを説いてきた最後に、武蔵は「打ち合いの利」=実際に打ち合う中でこそ勝ち方が分かる、と述べます。ここで印象的なのは「細かく書き記すものではない」「よく稽古して自分で勝つところを知れ」「口伝」という言葉です。これだけ具体的に技を書き連ねてきた武蔵が、最後は「文字では伝えきれない、稽古と口伝による」と認めるのです。技術の核心は、言葉で受け取る知識ではなく、繰り返しの実践の中で各自がつかみ取る体得知である――序で「自分の心から見出した理とせよ」と説いた読み方の教えが、ここで再び確認されます。書物は入り口にすぎず、本当の会得は身体と経験の中にしかない。学びにおける「言葉の限界」と「実践の必然」を静かに示す一段です。
この章句が説くこと
打あひの利体得知言葉の限界稽古口伝実践の必然
関連する章句
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五輪書・水の巻直通(ぢきつう)の心、二刀一流の実の道をうけて伝ふる所なり。能々(よくよく)鍛錬して、此の兵法に身を為す事肝要なり。口伝。
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五輪書・水の巻此の一ツの打と云ふ心をもつて、慥(たしか)に勝つ所を得る事なり。兵法能(よ)く学ばざれば、心得がたし。此の儀能く鍛錬すれば、兵法心の儘(まま)になつて、思ふ儘に勝つ道なり。能々(よくよく)稽古すべし。
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五輪書・水の巻太刀の道を知るといふ事は、常に我さす刀を、ゆび二ツにて振る時も、道すぢ能(よ)く知りては、自由に振るものなり。太刀をはやく振らんとするによつて、太刀の道ちがひて振りがたし。太刀は振りよき程に静に振るなり。或は扇、或は小刀など遣ふ様に、はやく振らんと思ふによつて、太刀の道ちがひて振りがたし。夫(それ)は小刀きざみといひて、太刀にては人のきれざるものなり。太刀を打さげては、あげよき道にあげ、横に振りては、横にもどりよき道へもどし、いかにも大きにひぢをのべて、強く振る事、是れ太刀の道なり。我兵法の五ツの表を遣ひ覚ゆれば、太刀の道定まりて、振りよき所なり。能々(よくよく)鍛錬すべし。
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五輪書・水の巻身にかはる太刀共いふべし。惣(そう)て敵を打つ身に、太刀も身も一度には打たざるものなり。敵の打つ縁により、身をばさきへうつ身になり、太刀は身にかまはず打つ所なり。若(もし)くは身はゆるがず、太刀にて打つ事は有れども、大形は身を先へ打ち、太刀をあとより打つものなり。能々(よくよく)吟味して打ち習ふべきなり。
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五輪書・水の巻第五の次第、太刀の構、我右の脇に横に構へて、敵打ちかくる所のくらゐをうけ、我太刀の下の横よりすぢかへて、上段に振り上げ、上より直(すぐ)にきるべし。是も太刀の道能(よ)く知らん為なり。此のおもてにてふりつけぬれば、おもき太刀自由にふらるる所なり。此の五ツのおもてに於て、こまかに書き付くる事に非ず。我家の一通、太刀の道を知り、亦(また)大形拍子をも覚え、敵の太刀を見分くる事、先づ此の五ツにて、不断手をからす所なり。敵と戦ひの内にも、此の太刀すぢをからして、敵の心を受け、色々の拍子にて如何様(いかやう)にも勝つ所なり。能々(よくよく)分別すべし。
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五輪書・水の巻第二の太刀、上段に構へ、敵打ちかくる所、一度に敵を打つなり。敵を打ちはづしたる太刀、其の儘置きて、又敵の打つ所を、下よりすくひ上げて打つ。今一ツ打つも同じ事なり。此の表の内に於ては、様々の心持、色々の拍子、此の表のうちを以て、一流の鍛錬をすれば、五ツの太刀の道こまやかに知つて、如何様(いかやう)にも勝つ所有り。稽古すべきなり。