五輪書 / 風の巻
足のふみ様に浮足飛足はぬる足ふみつむる足からす足などと云て色々さつそくをふむ事有是皆我兵法より見ては不足に思ふ所也浮足を嫌ふ事其故は戦になりては必ず足の浮たがるものなればいかにも慥にふむ道也又飛足を好まざる事飛足はとぶおこり有て飛びていつく心有幾飛も飛と云理のなきによつて飛足悪し亦はぬる足はぬると云心にてはかの行かざるもの也踏つむる足待の足とて殊に嫌ふ事也其外からす足色々のさつそくなど有或は沼ふけ或は山川石原細道にても敵ときり合ものなれば所により飛はぬる事もならずさつそくのふまれざる所有もの也我兵法に於て足に替る事なし常の道をあゆむが如し敵の拍子に随ひいそぐ時静なる時の身の位を得てたらずあまらず足のしどろになき様に有べき也大分の兵法にしても足をはこぶ事肝要也其故は敵の心を知ずむざとはやくかかれば拍子ちがひ勝がたきもの也又足ふみ静にては敵うろめきありてくづるると云所を見つけずして勝事をぬかしてはやく勝負つけ得ざるもの也うろめきくづるる場を見わけて少も敵をくつろがせざる様に勝事肝要也能々鍛錬有べし
書き下し
足のふみ様に、浮足(うきあし)・飛足(とびあし)・はぬる足・ふみつむる足・からす足などと云ひて、色々さつそくをふむ事有り。是れ皆、我兵法より見ては、不足に思ふ所なり。浮足を嫌ふ事、其故は、戦になりては、必ず足の浮きたがるものなれば、いかにも慥(たし)かにふむ道なり。又飛足を好まざる事、飛足は、とぶおこり有りて、飛びていつく心有り。幾飛(いくとび)も飛ぶと云ふ理のなきによつて、飛足悪し。亦(また)はぬる足は、はぬると云ふ心にては、はかの行かざるものなり。踏みつむる足・待の足とて、殊に嫌ふ事なり。其外、からす足、色々のさつそくなど有り。或は沼・ふけ、或は山川・石原・細道にても、敵ときり合ふものなれば、所により飛び・はぬる事もならず、さつそくのふまれざる所有るものなり。我兵法に於て、足に替る事なし。常の道をあゆむが如し。敵の拍子に随ひ、いそぐ時・静かなる時の身の位を得て、たらずあまらず、足のしどろになき様に有るべきなり。大分の兵法にしても、足をはこぶ事肝要なり。其故は、敵の心を知らず、むざとはやくかかれば、拍子ちがひ、勝がたきものなり。又足ふみ静かにては、敵うろめきありて、くづるると云ふ所を見つけずして、勝つ事をぬかして、はやく勝負つけ得ざるものなり。うろめきくづるる場を見わけて、少も敵をくつろがせざる様に勝つ事肝要なり。能々(よくよく)鍛錬有るべし。
現代語訳
足の踏み方に、浮足・飛足・跳ねる足・踏み詰める足・烏足などといって、色々と特殊な足遣いを踏むものがある。これらは皆、我が兵法から見れば不十分だと思われる。浮足を嫌うのは、戦いになれば必ず足が浮つきたがるものだから、どこまでも確かに踏みしめる道を採るためだ。飛足を好まないのは、飛足には飛ぶきっかけがあって、飛んだところで居着いてしまう心があるからだ。何度も飛び続けられる道理はないので、飛足はよくない。跳ねる足も、跳ねるという心では、はかどらない。踏み詰める足・待ちの足は、とりわけ嫌う。そのほか烏足など色々な特殊な足遣いがあるが、沼やぬかるみ、あるいは山川・石原・細道でも敵と斬り合うのだから、場所によっては飛んだり跳ねたりできず、特殊な足が踏めない所もあるものだ。我が兵法では、足に特別な変わりはない。普段の道を歩くのと同じである。敵の拍子に従い、急ぐ時・静かな時の体のあり方を心得て、足りず余らず、足がしどろにならないようにするべきだ。集団の戦いでも、足を運ぶことは肝要である。なぜなら、敵の心を知らずにやみくもに速く攻めかかれば、拍子が狂って勝ちにくいからだ。また足取りが静かすぎては、敵がうろたえ崩れる隙を見つけられず、勝ちを取り逃して、素早く勝負をつけられない。敵がうろたえ崩れる場を見分けて、少しも敵を立て直させないように勝つことが肝要である。よくよく鍛錬せよ。