五輪書 / 水の巻
たけくらべと云は何れにても敵へ入込時は我身のちぢまざる様にして足をも延べ腰をものべ首をも延べて強く入敵の顔と顔とをならべ身のたけをくらぶるにくらべ勝と思ふ程高くなつて強く入所肝心也能々工夫すべし
書き下し
たけくらべと云ふは、何れにても敵へ入り込む時は、我身のちぢまざる様にして、足をも延べ、腰をものべ、首をも延べて、強く入り、敵の顔と顔とをならべ、身のたけをくらぶるに、くらべ勝つと思ふ程高くなつて、強く入る所肝心なり。能々(よくよく)工夫すべし。
現代語訳
「丈(たけ)くらべ」というのは、どんな場合でも敵へ入り込むときは、自分の体が縮こまらないようにして、足も伸ばし、腰も伸ばし、首も伸ばして強く入り、敵と顔と顔を並べて、背丈を比べるように、比べ勝つと思うほど高く伸び上がって、強く入るところが肝心である。よくよく工夫すべきである。
解説
踏み込むときの体の伸ばし方を「背比べ」になぞらえて説く一段です。敵に入り込むとき、恐れから体が縮こまるのが人の常ですが、武蔵はその逆を求めます。足・腰・首を伸ばし、敵と顔を並べて「背比べに勝つ」と思うほど高く伸び上がって入れ、というのです。縮こまれば力も気迫も萎え、相手に呑まれる。伸び上がれば全身に力が通り、気持ちの上でも相手を圧する。物理的な姿勢が、そのまま気迫・気位の高さに直結するという洞察です。前段の「漆膠」が密着を、この段が伸長を説き、いずれも「肝心の場面で体を引く・縮める」ことを戒めています。困難に直面したとき、萎縮せず胸を張って前に出る――姿勢が心を作るという、現代のパフォーマンス心理にも通じる教えです。
この章句が説くこと
たけくらべ縮こまらない伸び上がる気位姿勢が心を作る萎縮を断つ
関連する章句
-
五輪書・水の巻身のかかり、顔はうつむかず、あをのかず、かたむかず、ひずまず、目をみださず、ひたいにしはをよせず、まゆあいにしわをよせて、目の玉のうごかざる様にして、またたきせぬ様に思ひて、目を少しすくめる様にして、うらやかに見ゆるかほ、鼻すぢ直(すぐ)にして、少しおとがひを出す心なり。首はうしろのすぢを直に、うなじに力を入れて、肩より総身はひとしく覚え、両の肩をさげ、背すぢをろくに、尻を出さず、ひざより足先まで力を入れて、腰のかがまざる様に、腹をはり、くさびをしむると云ひて、脇差のさやに腹をもたせて、帯のくつろがざる様に、くさびをしむると云ふ教(をしへ)有り。総て兵法の身に於て、常の身を兵法の身とし、兵法の身を常の身とする事肝要なり。能々(よくよく)吟味すべし。
-
五輪書・水の巻身にかはる太刀共いふべし。惣(そう)て敵を打つ身に、太刀も身も一度には打たざるものなり。敵の打つ縁により、身をばさきへうつ身になり、太刀は身にかまはず打つ所なり。若(もし)くは身はゆるがず、太刀にて打つ事は有れども、大形は身を先へ打ち、太刀をあとより打つものなり。能々(よくよく)吟味して打ち習ふべきなり。
-
五輪書・水の巻敵も打ちかけ、我も太刀打ちかくるに、敵うくる時、我太刀、敵の太刀に付けてねばる心にして入るなり。ねばるは、太刀はなれがたき心、余り強くなき心に入るべし。敵の太刀につけて、ねばりをかけ入る時は、いか程も静に入ても苦しからず。ねばると云ふ事と、もつるると云ふ事、ねばるは強く、もつるるはよわし。此の事分別有るべし。
-
五輪書・水の巻身のあたりは、敵のきはへ入り込みて、身にて敵にあたる心なり。少し我顔をそばめ、我左の肩を出し、敵の胸にあたる事、我身をいか程も強くなりあたる事、いきあい拍子にてはづむ心に入るべし。此の入る事、入り習ひ得ては、敵二間(けん)も三間(げん)もはねのく程強きものなり。敵死に入るほどもあたるなり。能々(よくよく)鍛錬有るべし。
-
五輪書・水の巻漆膠(しっこう)とは、入身(いりみ)に能(よ)く付きて、はなれぬ心なり。敵の身に入る時、頭をもつけ、身をもつけ、足をもつけ、強く付く所なり。人毎に、顔・足は早く入れども、身ののくものなり。敵の身へ我身をよく付け、少しも身のあひのなき様につくものなり。能々(よくよく)吟味有るべし。
-
五輪書・水の巻兵法の道に於て、心の持様は常の心に替る事なかれ。常にも兵法の時にも少しも替らずして、心を広く直(すぐ)にして、きつくひつぱらず、少しもたるまず、心のかたよらぬ様に、心をまん中におきて、心を静にゆるがせて、其のゆるぎのせつなもゆるぎやまぬ様に、能々(よくよく)吟味すべし。静なる時も心は静ならず、何とはやき時も心は少しもはやからず、心は体につれず、体は心につれず、心に用心して身は用心せず、心のたらぬ事なくして、心を少しもあやまらさず、うへの心はよわくとも、そこの心をつよく、心を人に見分けられざる様にして、小身なるものは心に大きなる事を残らず知り、大身なるものは心に小さき事を能(よ)く知りて、大身も小身も心を直にして、我身のひいきをせざる様に心を持つ事肝要なり。心の内にごらず、広くして、広き所へ智恵を置くべきなり。智恵も心もひたとみがく事専なり。智恵をとぎ、天下の理非を弁へ、物毎の善悪を知り、万の芸能其の道其の道をわたり、世間の人に少しもだまされざる様にして後、兵法の智恵となる心なり。兵法の智恵に於て、とりわきちがふ事有るものなり。戦の場、万事せはしき時なれども、兵法の道理をきはめ、うごきなき心、能々吟味すべし。