五輪書 / 水の巻
石火のあたりは敵の太刀と我太刀と付合ほどにて我太刀少もあげずしていかにもつよく打也是は足もつよく身もつよく手もつよく三所を以て早く打べき也此打度々打習はずしては打がたしよく鍛錬すれば強くあたるもの也
書き下し
石火のあたりは、敵の太刀と我太刀と付き合ふほどにて、我太刀少しもあげずして、いかにも強く打つなり。是れは足も強く、身も強く、手も強く、三所(みところ)を以て早く打つべきなり。此の打、度々打ち習はずしては打ちがたし。よく鍛錬すれば、強くあたるものなり。
現代語訳
「石火(せっか)のあたり」は、敵の太刀と自分の太刀が付き合っている(触れ合っている)ほどの近さで、自分の太刀を少しも上げずに、とにかく強く打つことである。これは、足も強く、体も強く、手も強く、この三か所の力を合わせて素早く打つべきだ。この打ちは、たびたび打ち習わなければ会得しがたい。よく鍛錬すれば、強く当たるものである。
解説
石を打つと火花が飛ぶ、その瞬間のような速さと強さの打ち「石火のあたり」を説く一段です。太刀と太刀が触れ合うほどの至近で、太刀を振りかぶって上げる余裕もない。そこで、太刀を上げずに、足・体・手の三か所の力を一つに集めて、瞬時に強く打つ。ポイントは「三所の力を合わせる」ことです。手だけの力では至近距離の一撃は生まれない。足で地を踏み、体幹を利かせ、手を連動させて、全身の力を一点・一瞬に集約する。腕先の技ではなく、全身を協調させて生む力です。これはあらゆる身体技法に通じる原理で、また余裕のない土壇場でこそ、日頃鍛えた全身の連動が物を言う、という実戦的な教えでもあります。
この章句が説くこと
石火のあたり全身の連動三所の力至近の一撃土壇場力の集約
関連する章句
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五輪書・水の巻身のあたりは、敵のきはへ入り込みて、身にて敵にあたる心なり。少し我顔をそばめ、我左の肩を出し、敵の胸にあたる事、我身をいか程も強くなりあたる事、いきあい拍子にてはづむ心に入るべし。此の入る事、入り習ひ得ては、敵二間(けん)も三間(げん)もはねのく程強きものなり。敵死に入るほどもあたるなり。能々(よくよく)鍛錬有るべし。
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五輪書・水の巻身にかはる太刀共いふべし。惣(そう)て敵を打つ身に、太刀も身も一度には打たざるものなり。敵の打つ縁により、身をばさきへうつ身になり、太刀は身にかまはず打つ所なり。若(もし)くは身はゆるがず、太刀にて打つ事は有れども、大形は身を先へ打ち、太刀をあとより打つものなり。能々(よくよく)吟味して打ち習ふべきなり。
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五輪書・水の巻我打ち出す時、敵打ち止めん・はりのけんとする時、我打一ツにして、あたまをも打ち、足をも打つ。太刀の道一ツを以て、何れなりとも打つ所、是れ縁(えん)の打なり。此の打、よくよく打ち習ひ、何時(いつ)も出合ふ打なり。細々(こまごま)打ち合ひて、分別有るべき事なり。
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五輪書・水の巻紅葉の打、敵の太刀を打ち落し、太刀取り直す心なり。敵、前に太刀を構へ、打たん・はらん・うけんと思ふ時、我打つ心は、無念無想の打、又石火の打にても、敵の太刀を強く打ち、其の儘あとをねばる心にて、きつさきさがりに打てば、敵の太刀必ず落るものなり。此の打、鍛練すれば、打ち落す事やすし。能々(よくよく)稽古有るべし。
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五輪書・水の巻此の打ちあひの利と云ふ事にて、兵法太刀にての勝利を弁(わきま)ふる所なり。こまかに書き記すに非ず。能(よ)く稽古有りて、勝つ所を知るべきものなり。大形、兵法の実の道をあらはす太刀なり。口伝。
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五輪書・水の巻流水の打と云て、敵相(あひ)になりてせり合ふ時、敵早くひかん・早くはづさん・早く太刀をはりのけんとする時、我身も心も大きになつて、太刀を我身のあとより、いかほどもゆるゆると、よどみのある様に、大きに強く打つ事なり。此の打習ひ得ては、慥(たしか)に打ちよきものなり。敵の位を見分くる事肝要なり。