五常訓 / 巻之五・信
一仁義禮智の四德は、春夏秋冬の四時になずらへ、信は土用になずらふ。信なければ四德たゝず。一年の功も、春夏秋冬にてそなはりぬれど、土用によりて、四時行るゝが如し。木火金水も、土にあらざれば生せず、天道誠なければ、元亨利貞の四德たゝず。人道も、信なければ、仁義禮智の四德行はれず。誠ならざれば物なしといへるは、是なり。
新字:一仁義礼智の四徳は、春夏秋冬の四時になずらへ、信は土用になずらふ。信なければ四徳たゝず。一年の功も、春夏秋冬にてそなはりぬれど、土用によりて、四時行るゝが如し。木火金水も、土にあらざれば生せず、天道誠なければ、元亨利貞の四徳たゝず。人道も、信なければ、仁義礼智の四徳行はれず。誠ならざれば物なしといへるは、是なり。
書き下し
一仁義礼智の四徳は、春夏秋冬の四時になずらへ、信は土用になずらふ。信なければ四徳たたず。一年の功も、春夏秋冬にてそなはりぬれど、土用によりて、四時行るるが如し。木火金水も、土にあらざれば生せず、天道誠なければ、元亨利貞の四徳たたず。人道も、信なければ、仁義礼智の四徳行はれず。誠ならざれば物なしといへるは、是なり。
現代語訳
仁義礼智の四徳は春夏秋冬の四季になぞらえ、信は土用になぞらえます。信がなければ四徳は立ちません。一年の功も春夏秋冬でそなわりますが、土用によって四季がめぐるようなものです。木火金水も、土でなければ生じません。天の道も誠がなければ、元亨利貞の四徳は立ちません。人の道も、信がなければ仁義礼智の四徳は行われません。「誠でなければ物はない」というのは、このことです。
解説
この章句が説くこと
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『大和俗訓』巻之五・言語一言をつつしみて、一言を出すにも、よく思案して物をいへば、言語はおのづから少なし。むりに口をとぢて言はざるにはあらず。一ことばをば必信にすべし。かりそめの少なる事にも、いつはるべからず。其事は少なりとも、心を害する咎は大なり。まことの道を失へばなり。故に万の事うるはしくとも、いつはりをいふは人にあらず。我が心の神は、則天地の神なり。おそるべし。心にいつはりと知らば言ふべからず。偽と知りてわが心をあざむくは、罪ふかし。
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『五常訓』巻之五・信一信は説文に曰く、誠なり、人に从ひ言に从ふ、会意。徐曰く、文に於て人の言を信と為す、言ひて信ならざれば人為るに非ざるなり。信の字、人偏に言の字を書くは、六書においては、会意に属す。偏旁の意を以て作りし字なり。いふ意は、人の言に誠あらざるは、人にあらず。故に人の言は、必信あるべしと云ふ意なり。五常においては、心にまことあるを云ふ。口に偽をいはざるも、其内にあり。仁義礼智の、いつはりなき真実なるを、信と云ふ。信なければ、仁義礼智にあらず。仁義礼智四徳の外に、又信あるにあらず。親によくつかふるは孝なれど、名聞のためにつとめ、又親の寵愛をねがひて務むるは、孝にあらず。君によく仕ふるは忠なれど、君の寵をねがひ、官禄をむさぼりて、奉公をつとむるは、忠にあらず。
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『初学訓』巻之一一仁義礼智の真実にして偽なき理を信といふ。信はまことなり。まことなければ、仁義礼智も偽となり、万の善も、皆あだことなり。仁義礼智の四徳に、信をくはへて五常とす。又、五性といふ。性とは、心に生れつきたる理なり。此五性は、万世まで人にうまれつきて、かはらざる理なれば、五常といふ。百行万善、皆五常より出づ。五常を以て、万善をかねたり。人の心とするは、此五にあり。此外に心を求むるは、天地聖人の道にあらず。
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『五常訓』巻之五・信是皆まことの道にあらず。忠孝にかぎらず、万事皆かくの如し。中庸に、不誠無物といへり。物なしとは、偽りて実なきなり。親につかへ、君につかふるに、誠なくして、右にいへる如くなれば、忠孝にあらず。是物なきなり。万の事、皆誠なければ物なし。凡名と利とを求めてする事は、たとひ天下に聞ゆるほどの善なりとも、其心真実ならざれば私とす。善にあらず。是物なきなり。四徳に誠なければ、仁義礼智にあらず、いつはりなり。是物なきなり。人の、天より生れつきたる性は、唯仁義礼智の四徳なり。此四徳にて、人道行はる。此故に、孟子は、ただ仁義礼智を説きて、信を説き給はず。程子曰く、四端に信を言はざるは、既に誠心有りて四端と為れば、則ち信其の中に在ればなり。これを以て、仁義礼智の外に、信なきことを知るべし。
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