五常訓 / 巻之四・礼
一禮は中を得るをたつとぶ。中とは過不及なきを云ふ。管仲晏子此兩人、皆才力すぐれたりしかども、聖人の道を知らず。管仲は、身上よりおごりて、禮をうしなひ、晏子は儉約に過ぎて禮を失ふ。今の人、儉約なれば、吝嗇にして、なすべき禮法をも行はず。是を下に偏ると云ふ。下にせまるとは、わが身上より下なる人の行をするを云ふ。奢れば法制にそむきて、禮を失ふ。是を上を僭すと云ふ。上を僭すとは、わが身上の分に過ぎて、上なる人のふるまひをするを云ふ。故に禮は過不及なき工夫をなすべし。
新字:一礼は中を得るをたつとぶ。中とは過不及なきを云ふ。管仲晏子此両人、皆才力すぐれたりしかども、聖人の道を知らず。管仲は、身上よりおごりて、礼をうしなひ、晏子は倹約に過ぎて礼を失ふ。今の人、倹約なれば、吝嗇にして、なすべき礼法をも行はず。是を下に偏ると云ふ。下にせまるとは、わが身上より下なる人の行をするを云ふ。奢れば法制にそむきて、礼を失ふ。是を上を僭すと云ふ。上を僭すとは、わが身上の分に過ぎて、上なる人のふるまひをするを云ふ。故に礼は過不及なき工夫をなすべし。
書き下し
一礼は中を得るをたつとぶ。中とは過不及なきを云ふ。管仲、晏子、此の両人、皆才力すぐれたりしかども、聖人の道を知らず。管仲は、身上よりおごりて、礼をうしなひ、晏子は倹約に過ぎて礼を失ふ。今の人、倹約なれば、吝嗇にして、なすべき礼法をも行はず。是を下に偏ると云ふ。下にせまるとは、わが身上より下なる人の行をするを云ふ。奢れば法制にそむきて、礼を失ふ。是を上を僭すと云ふ。上を僭すとは、わが身上の分に過ぎて、上なる人のふるまひをするを云ふ。故に礼は過不及なき工夫をなすべし。
現代語訳
礼は中を得ることを尊びます。中とは過不及のないことをいいます。管仲と晏子、この二人は、どちらも才能がすぐれていましたが、聖人の道を知りませんでした。管仲は身分以上に奢って礼を失い、晏子は倹約に過ぎて礼を失いました。今の人は、倹約であればけちになって、なすべき礼法をも行いません。これを下に偏るといいます。下に迫るとは、自分の身分より下の人の行いをすることをいいます。奢れば法制にそむいて礼を失います。これを上を僭すといいます。上を僭すとは、自分の身分に過ぎて、上の人の振る舞いをすることをいいます。ゆえに礼は、過不及のない工夫をすべきです。
解説
この章句が説くこと
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