五行大義 / 第二十論諸神
諸神占候之法。各有別注。不勞於此委碎。名字之義。故以略談。至如日月星辰。風雨雷電。山川岳瀆。井竈衡門。爰及人身。諸神非一。帝王之所崇祭。百姓之所祈禱。如此之例。名數甚多。其於五行。更無別義。故不備說。又。卜筮所用殺厤諸神。正是左右歲月之閒。逆順季孟之際。亦無俟於具談。寧勞曲解。此前諸神。占候之網維。三才之理要。故以次述。
新字:諸神占候之法。各有別注。不労於此委砕。名字之義。故以略談。至如日月星辰。風雨雷電。山川岳瀆。井竈衡門。爰及人身。諸神非一。帝王之所崇祭。百姓之所祈祷。如此之例。名数甚多。其於五行。更無別義。故不備説。又。卜筮所用殺厤諸神。正是左右歳月之閒。逆順季孟之際。亦無俟於具談。寧労曲解。此前諸神。占候之網維。三才之理要。故以次述。
書き下し
諸神の占候の法は、各々別に注有り、此に委砕(いさい)を労せず。名字の義は、故に以て略談す。日月星辰・風雨雷電・山川岳涜(がくとく)・井竈(せいそう)衡門、爰(ここ)に人身に及ぶまで、諸神一に非ず。帝王の崇祭する所、百姓の祈禱する所、此くの如きの例、名数甚だ多し。その五行に於いては、更に別義無し、故に備に説かず。又、卜筮に用うる所の殺暦の諸神は、正に是れ歳月の間を左右し、季孟の際を逆順す。亦具に談ずるを俟つこと無し。寧ろ曲解を労せんや。此の前の諸神は、占候の網維、三才の理要なり。故に次を以て述ぶ。
現代語訳
諸神による占いの方法は、それぞれ別に注解があるので、ここで細かく述べる手間はかけない。名や字の意味については、だから簡略に語った。日・月・星・辰、風・雨・雷・電、山・川・五岳・四涜(四つの大河)、井戸・かまど・門(衡門)、さらに人の身体にいたるまで、神は一つではない。帝王があがめ祭るもの、民が祈るもの、このような例は、名も数もきわめて多い。しかしそれらは五行については別に特別な意味をもたないので、詳しくは説かない。また、卜筮で用いる殺暦(凶神を記した暦)の諸神は、まさに年と月の間を左右にめぐり、季節の初め(孟)と終わり(季)の間を逆に順にめぐるものであり、これもまた詳しく語るまでもない。どうして回りくどい解釈の手間をかける必要があろうか。ここまでに述べた諸神は、占いの大綱であり、天・地・人の三才の理の要である。だから順を追って述べたのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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五行大義・第二十論諸神諸神は、霊智方(ほう)無く、隠顕測られず。孔子曰く、陽の精気を神と為す、と。又曰く、陰陽測られざる、之を神と謂う、と。一解に云う、神は申なり。万物は皆質礙(しつげ)有り、屈して申びず。神は是れ清虚の気にして、擁滞する所無し。故に申と曰うなり、と。その神を語れば、名に万徒有り。三才の道、百霊一に非ず。並びに五行に従うも、周(あまね)く尽くすべきこと難し。今且(しばら)く五行に配する所にして吉凶を弁ずる者を論ず。帝系譜に曰く、天地初めて起こるや、即ち天皇を生ず。木徳を以て王たり、と。三五暦紀に云う、天皇は十三頭、と。帝系譜に曰く、地皇は火徳を以て王たり、と。三五暦に云う、神人有り十一頭、地皇と号す、と。春秋命暦序に曰く、人皇は九頭、と。宋均の注に云う、兄弟九人なり、と。洞紀に云う、人皇は九州を分治す。古語は質なり、故に頭数を以て之を言う、と。陶華陽云う、此の三皇は紫微宮を治め、その精は天皇太帝と為る、と。世記に云う、天皇太帝は曜魄宝(ようはくほう)、地皇は天一と為り、人皇は太一と為る、と。
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五行大義・第二十論諸神太一は、紫微の内にあらず。北辰の名は大帝なり。鄭玄は謬(あやま)てり。太一の十六神とは、地主は子に在り。陽気黄泉に動き、万物地に孳産(じさん)す。子は陽気の首たり、故に地主と曰う。陽徳は丑に在り。陽は能く万物を生じ、丑に至りて方(まさ)に生ず、故に陽徳と曰うなり。和徳は東北の維(い)に在り。此の時陰陽の気合して、万物を生ず、故に和徳と曰う。呂申は寅に在り。呂は巨なり、申は引き長ずるなり。万物漸く申びて巨大なり、故に呂申と曰う。高叢(こうそう)は卯に在り。万物叢(むら)がりて高大なり、故に高叢と曰う。太陽は辰に在り。震動して已後、陽気大いに盛ん、故に太陽と曰う。太昊は東南の維に在り。時に陽已に著われ、昊然として昭明なり、故に太昊と曰う。大神は巳に在り。万物已に熟し、その気翼起す、故に大神と曰う。太威は午に在り。陽衰え陰生じ、形気始めて動く、故に大威と曰う。天道は未に在り。百物皆成り、資用せざるは莫し、故に天道と曰う。大武は西南の維に在り。陰気事を用い、万物皆傷る、故に大武と曰う。武徳は申に在り。薺麦(せいばく)方に生じ、陰は陽の性を懐く、故に武徳と曰う。大族は酉に在り。陰気大いに殺し、族類皆尽く、故に大族と曰う。陰主は戌に在り。陽気下に蔵れ、陰気自ら上に在り、故に陰主と曰う。陰徳は西北の維に在り。乾は天たり。陰気此に至りて極まり、方に能く陽を生ず、故に陰徳と曰う。大義は亥に在り。万物此に於いて懐任(かいにん)す。陰にして陽を含む、故に大義と曰う。
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五行大義・第二十論諸神又九宮の十二神とは、天一は離宮に在り、太一は坎宮に在り、天符は中宮に在り、摂提(せってい)は坤宮に在り、軒轅(けんえん)は震宮に在り、招揺(しょうよう)は巽宮に在り、青竜は乾宮に在り、咸池(かんち)は兌宮に在り、太陰は艮宮に在り。太一の巳に在ることは前の解の如し。余の七神は、皆是れ星宮の名なり。天一・太一と九宮を行き、一歳に一たび移り、九年にして位に復す。天一は豊穣を主り、太一は水旱を主り、天符は飢饉を主り、摂提は疾苦を主り、軒轅は雷雨を主り、招揺は風雲を主り、青竜は霜雹を主り、咸池は兵賊を主り、太陰は陰謀を主る。
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五行大義・第二十論諸神九宮経に云う、天一の行くは離宮に始まり、太一の行くは坎宮に始まる。天一は豊穣を主り、太一は水旱兵飢を主る。十二神を合わせて、九宮十二位を遊行し、少なきより多きに之(ゆ)く、と。 六壬式経(りくじんしききょう)に云う、十二神将は、天一を以て主と為す。甲戊庚の日は、旦(あした)に大吉を治め、暮れに小吉を治む。乙己の日は、旦に神后を治め、暮れに伝送を治む。丙丁の日は、旦に微明を治め、暮れに従魁を治む。六辛の日は、旦に勝先を治め、暮れに功曹を治む。壬癸の日は、旦に太一を治め、暮れに大衝を治む。此れ並びに紫微宮門外の天一なり、と。
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五行大義・第二十論諸神又玄女式経(げんじょしききょう)に云う、六壬の使う所の十二神とは、神后は子を主る、水神なり。大吉は丑を主る、土神なり。功曹は寅を主る、木神なり。大衝は卯を主る、木神なり。天剛は辰を主る、土神なり。太一は巳を主る、火神なり。勝先は午を主る、火神なり。小吉は未を主る、土神なり。伝送は申を主る、金神なり。従魁は酉を主る、金神なり。河魁は戌を主る、土神なり。微明は亥を主る、水神なり。子の神后とは、子は黄鐘(こうしょう)君道たり、故に后と称す。陽の始めなり。陽内に動きて未だ形(あら)われず、故に神と称するなり。丑の大吉とは、万物丑に至りて皆萌し、陽を得て生ず、故に大吉なり。寅の功曹とは、万物寅に至りて、その功已に見(あら)わる。曹は衆なり。衆物の功既に寅に見わるるなり。卯の太衝とは、万物卯に至りて、その皆太いにその心を衝き、皮萼を抽(ぬ)くなり。辰の天剛とは、斗星の柄に当たり、その神剛強なり。巳の太一とは、純乾事を用い、天徳焉(ここ)に在り、故に太一なり。神の后なり。午の勝先とは、陽気大いに威(さか)んにして、陰気時に動く。惟だ陽の先に在るを勝と為すなり。未の小吉とは、万物畢(ことごと)く熟成す、故に小吉と為すなり。申の伝送とは、その成物を伝えて、冬蔵に送与するなり。酉の従魁とは、斗の魁の第二星に従うなり。戌の河魁とは、河は首に当たるなり。斗魁の首に当たるなり。亥の微明とは、水体内に明らかにして、外に見われず、その陽気を微(かす)かにし、子に至りて方に明らかなるなり。神后は婦女を主り、大吉は田農を主り、功曹は遷邦を主り、大衝は対吏を主り、天剛は殺伐を主り、太一は金宝を主り、勝先は神祀を主り、小吉は婚会を主り、伝送は掩捕(えんぽ)を主り、従魁は死喪を主り、河魁は疾病を主り、微明は砕召を主る。
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五行大義・第二十論諸神春秋佐助期(しゅんじゅうさじょき)に云う、第一星の神は、名は執陰、姓は頸梁。第二星の神は、名は斗諒、姓は伊偊当(いうとう)。第三星の神は、名は拒理、姓は英㔁領許。第五星の神は、名は防仵(ぼうご)、姓は雞尹堵。第六星の神は、名は開宝、姓は蚩、一名蒼児部。第七星の神は、名は招、姓は肥脱絡馮、と。七星の名は、並びに是れ人の年命の属する所なり。恒(つね)に思いて之を誦し、以て福を求むるなり。黄帝八神図に云う、乾の神は軒轅、天の承相の使いにして、辰星に舎(やど)る。兌の神は時刑、北斗の使いにして、牛星に舎り、軒研を主る。坤の神は招揺、天の上公の使いにして、角星に舎り、殺害を主る。離の神は昊時、天の遊徼(ゆうきょう)の使いにして、翼星に舎る。巽の神は天候、天の執法の使いにして、觜星(ししせい)に舎る。震の神は雷公、大陰の候の使いにして、七星に舎る。艮の神は曲隆、天候東明の使いにして、奎星(けいせい)に舎る。坎の神は咸池、天の雨師の使いにして、井星に舎り、雨を主る、と。此の八使の神は、婦人産乳するに、低(た)れて之に向かうを忌む。此れも亦九宮の神なり。神既に清虚にして、遊ぶに定所無し。故に宮の間に在りて互いに時に同じからざる有り。既に八卦五行に配す。故に此に附して録す。
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