五行大義 / 第二十論諸神
太一。非紫微之內。北辰之名大帝也。鄭玄謬矣。太一十六神者。地主在子。陽氣動於黃泉。萬物孳產於地。子爲陽氣之首。故曰。地主。陽德在丑。陽能生萬物。至丑方生。故曰陽德也。和德在東北維。此時陰陽氣合。生於萬物。故曰和德。呂申在寅。呂。巨也。申。引長也。萬物漸申而巨大也。故曰呂申。高藂在卯。萬物藂而高大。故曰高藂。太陽在辰。震動已後。陽氣大盛。故曰太陽。太昊在東南維。時陽已著。昊然昭明。故曰太昊。大神在巳。萬物已熟。其氣翼起。故曰大神。太威在午。陽衰陰生。形氣始動。故曰大威。天道在未。百物皆成。莫不資用。故曰天道。大武在西南維。陰氣用事。萬物皆傷。故曰大武。武德在申。薺麥方生。陰懷陽性。故曰武德。大族在酉。陰氣大殺。族類皆盡。故曰大族。陰主在戌。陽氣下藏。陰氣自在於上。故曰陰主。陰德在西北維。乾爲天也。陰氣至此而極。方能生陽。故曰陰德。大義在亥。萬物於此懷任。陰無含陽。故曰大義。
新字:太一。非紫微之内。北辰之名大帝也。鄭玄謬矣。太一十六神者。地主在子。陽気動於黄泉。万物孳産於地。子為陽気之首。故曰。地主。陽徳在丑。陽能生万物。至丑方生。故曰陽徳也。和徳在東北維。此時陰陽気合。生於万物。故曰和徳。呂申在寅。呂。巨也。申。引長也。万物漸申而巨大也。故曰呂申。高叢在卯。万物叢而高大。故曰高叢。太陽在辰。震動已後。陽気大盛。故曰太陽。太昊在東南維。時陽已著。昊然昭明。故曰太昊。大神在巳。万物已熟。其気翼起。故曰大神。太威在午。陽衰陰生。形気始動。故曰大威。天道在未。百物皆成。莫不資用。故曰天道。大武在西南維。陰気用事。万物皆傷。故曰大武。武徳在申。薺麦方生。陰懐陽性。故曰武徳。大族在酉。陰気大殺。族類皆尽。故曰大族。陰主在戌。陽気下蔵。陰気自在於上。故曰陰主。陰徳在西北維。乾為天也。陰気至此而極。方能生陽。故曰陰徳。大義在亥。万物於此懐任。陰無含陽。故曰大義。
書き下し
太一は、紫微の内にあらず。北辰の名は大帝なり。鄭玄は謬(あやま)てり。太一の十六神とは、地主は子に在り。陽気黄泉に動き、万物地に孳産(じさん)す。子は陽気の首たり、故に地主と曰う。陽徳は丑に在り。陽は能く万物を生じ、丑に至りて方(まさ)に生ず、故に陽徳と曰うなり。和徳は東北の維(い)に在り。此の時陰陽の気合して、万物を生ず、故に和徳と曰う。呂申は寅に在り。呂は巨なり、申は引き長ずるなり。万物漸く申びて巨大なり、故に呂申と曰う。高叢(こうそう)は卯に在り。万物叢(むら)がりて高大なり、故に高叢と曰う。太陽は辰に在り。震動して已後、陽気大いに盛ん、故に太陽と曰う。太昊は東南の維に在り。時に陽已に著われ、昊然として昭明なり、故に太昊と曰う。大神は巳に在り。万物已に熟し、その気翼起す、故に大神と曰う。太威は午に在り。陽衰え陰生じ、形気始めて動く、故に大威と曰う。天道は未に在り。百物皆成り、資用せざるは莫し、故に天道と曰う。大武は西南の維に在り。陰気事を用い、万物皆傷る、故に大武と曰う。武徳は申に在り。薺麦(せいばく)方に生じ、陰は陽の性を懐く、故に武徳と曰う。大族は酉に在り。陰気大いに殺し、族類皆尽く、故に大族と曰う。陰主は戌に在り。陽気下に蔵れ、陰気自ら上に在り、故に陰主と曰う。陰徳は西北の維に在り。乾は天たり。陰気此に至りて極まり、方に能く陽を生ず、故に陰徳と曰う。大義は亥に在り。万物此に於いて懐任(かいにん)す。陰にして陽を含む、故に大義と曰う。
現代語訳
(ここでいう)太一は、紫微宮の内にいるものではない。北辰(北極)の名は大帝である。(北辰の神を太一とした)鄭玄は誤っている。太一の十六神とは次のとおりである。地主は子にある。陽の気が地下の黄泉で動き、万物が地中で生み増える。子は陽の気の始まりであるから地主という。陽徳は丑にある。陽は万物を生むことができ、丑に至ってまさに生じるので陽徳という。和徳は東北の隅にある。この時、陰と陽の気が合わさって万物を生むので和徳という。呂申は寅にある。呂は巨(おおきい)、申は引き伸ばして長くすることである。万物がしだいに伸びて巨大になるので呂申という。高叢は卯にある。万物が群がり生えて高く大きくなるので高叢という。太陽は辰にある。(卯の)震が動いてのち、陽の気が大いに盛んになるので太陽という。太昊は東南の隅にある。この時、陽はすでに明らかに現れ、広々と明るく輝くので太昊という。大神は巳にある。万物はすでに熟し、その気が翼を広げるように起こるので大神という。太威は午にある。陽が衰えて陰が生じ、形と気が動き始めるので大威という。天道は未にある。あらゆる物がみな成り、用に役立たないものはないので天道という。大武は西南の隅にある。陰の気がはたらき、万物がみな傷つくので大武という。武徳は申にある。なずなや麦がちょうど芽生え、陰が陽の性をはらむので武徳という。大族は酉にある。陰の気が大いに殺し、種類ごとにことごとく尽きるので大族という。陰主は戌にある。陽の気は下に隠れ、陰の気がおのずと上にあるので陰主という。陰徳は西北の隅にある。乾は天である。陰の気はここに至って極まり、そこでようやく陽を生むことができるので陰徳という。大義は亥にある。万物はここで身ごもる。陰でありながら陽を含んでいるので大義という。
解説
この章句が説くこと
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五行大義・第二十論諸神甘公星経に云う、天皇太帝は、本(もと)万神の図を秉(と)る。一星勾陳(こうちん)の中に在り、曜魄宝と名づく。五帝の尊祖なり。天一・太一は神に承くるを主る。承は猶お侍のごときなり。両星有りて紫微宮の門外に在り、倶に侍星なり。天皇太帝、天一は戦闘を主り、吉凶を知る。甲戊庚壬は、王として玉堂宮を治む。乙己辛は、王として明堂宮を治む。丙丁癸は、王として絳宮(こうきゅう)を治む。是れを三宮と為す。 太神太一は、風雨水旱・兵革飢疫・災害を主る。復た十六神をして九宮に遊ばしむ。天一は是れ万物を含養し、太一は是れ災殃(さいおう)を察す。是れ天帝の臣と為す。鄭玄、乾鑿度(けんさくど)に注して云う、太一とは北辰の神の名なり。その所に居るを太帝と曰い、八卦日辰の間を行くを太一と曰う。或いは天一と曰う。出入して逝息する所は紫宮の外にして、その星因りて以て名と為す。天一の行くは、猶お天子の方岳を巡狩するがごとく、人君も亦従いて巡省し、卒(お)わる毎に則ち復(かえ)る。太一は八卦の宮を行き、四季毎に乃ち中央に入る。天数は大分するに、陽を以て出で、陰を以て入る。陽は子に起こり、陰は午に起こる。是を以て太一は下りて九宮を行くに、坎より始むるなり、と。
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五行大義・第二十論諸神又九宮の十二神とは、天一は離宮に在り、太一は坎宮に在り、天符は中宮に在り、摂提(せってい)は坤宮に在り、軒轅(けんえん)は震宮に在り、招揺(しょうよう)は巽宮に在り、青竜は乾宮に在り、咸池(かんち)は兌宮に在り、太陰は艮宮に在り。太一の巳に在ることは前の解の如し。余の七神は、皆是れ星宮の名なり。天一・太一と九宮を行き、一歳に一たび移り、九年にして位に復す。天一は豊穣を主り、太一は水旱を主り、天符は飢饉を主り、摂提は疾苦を主り、軒轅は雷雨を主り、招揺は風雲を主り、青竜は霜雹を主り、咸池は兵賊を主り、太陰は陰謀を主る。
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