五行大義 / 第十五論律呂
十二月。建丑。地始化之端。謂之地統。殷正服色尚白。象物牙色白。正月。建寅。人始化之端。謂之人統。夏正服色尚黑。象物生色黑也。此三正律者。亦以五德相承。以前三皇爲正。謂天皇。地皇。人皇。皆以天地人爲法。周而復始。其歲首所書。乃因以爲名。欲體三才之道。而君臨萬邦。故受天命而王者。必調六律而改正朔。受五氣而易服色。法三正之道也。周以天統。服色尚赤者。陽道尚左。故天左旋。周以木德王。火是其子。火色赤左行。用其赤色也。殷以地統。服色尚白者。陰道尚右。其行右轉。殷以水德王。金是其母。金色白。故右行。用其白色。夏以人統。服色尚黑者。人亦尚左。夏以金德王。水是其子。水色黑。故左行。用其黑色。又云。帝王之興。多從符瑞。周感赤雀。故尚赤。殷致白狼。故尚白。夏錫元珪。故尚黑。此皆先兆氣王之符。子母相助之義。如漢以火德鎮星之精。降爲黃石。授子房以兵信。助沛公而滅楚。非五運之色。相扶爲用。孔子云。
新字:十二月。建丑。地始化之端。謂之地統。殷正服色尚白。象物牙色白。正月。建寅。人始化之端。謂之人統。夏正服色尚黒。象物生色黒也。此三正律者。亦以五徳相承。以前三皇為正。謂天皇。地皇。人皇。皆以天地人為法。周而復始。其歳首所書。乃因以為名。欲体三才之道。而君臨万邦。故受天命而王者。必調六律而改正朔。受五気而易服色。法三正之道也。周以天統。服色尚赤者。陽道尚左。故天左旋。周以木徳王。火是其子。火色赤左行。用其赤色也。殷以地統。服色尚白者。陰道尚右。其行右転。殷以水徳王。金是其母。金色白。故右行。用其白色。夏以人統。服色尚黒者。人亦尚左。夏以金徳王。水是其子。水色黒。故左行。用其黒色。又云。帝王之興。多従符瑞。周感赤雀。故尚赤。殷致白狼。故尚白。夏錫元珪。故尚黒。此皆先兆気王之符。子母相助之義。如漢以火徳鎮星之精。降為黄石。授子房以兵信。助沛公而滅楚。非五運之色。相扶為用。孔子云。
書き下し
十二月は丑(うし)に建つ。地の始めて化するの端(はじめ)、これを地統と謂う。殷の正(せい)にして、服色は白を尚(たっと)ぶ。物の牙(め)の色の白きに象(かたど)る。正月は寅(とら)に建つ。人の始めて化するの端、これを人統と謂う。夏(か)の正にして、服色は黒を尚ぶ。物の生ずる色の黒きに象るなり。此の三正の律は、亦た五徳を以て相承く。前の三皇を以て正と為す。天皇・地皇・人皇を謂う。皆天地人を以て法と為し、周(めぐ)りて復た始まる。その歳首に書する所は、乃ち因りて以て名と為す。三才の道を体して、万邦に君臨せんと欲するなり。故に天命を受けて王たる者は、必ず六律を調えて正朔(せいさく)を改め、五気を受けて服色を易(か)う。三正の道に法(のっと)るなり。周は天統を以てし、服色は赤を尚ぶは、陽道は左を尚ぶ、故に天は左旋す。周は木徳を以て王たり、火は是れその子にして、火の色は赤く左行す、その赤色を用うるなり。殷は地統を以てし、服色は白を尚ぶは、陰道は右を尚び、その行は右転す。殷は水徳を以て王たり、金は是れその母にして、金の色は白し、故に右行して、その白色を用う。夏は人統を以てし、服色は黒を尚ぶは、人も亦た左を尚ぶ。夏は金徳を以て王たり、水は是れその子にして、水の色は黒し、故に左行して、その黒色を用う。又云う、帝王の興るや、多く符瑞(ふずい)に従う。周は赤雀に感ず、故に赤を尚ぶ。殷は白狼を致す、故に白を尚ぶ。夏は元珪(げんけい)を錫(たま)わる、故に黒を尚ぶ。此れ皆先に兆す気王(きおう)の符にして、子母相助くるの義なり。漢の火徳を以てして、鎮星(ちんせい)の精、降りて黄石と為り、子房に授くるに兵信を以てし、沛公を助けて楚を滅ぼせしが如き、五運の色の相扶けて用を為すに非ざらんや。孔子云う、
現代語訳
十二月は、北斗の柄が丑の方角を指す月である。地がはじめて万物を化育しはじめる端緒であり、これを地統という。殷の暦はこの月を正月とし、服の色は白を尊んだ。物の芽が白いことにかたどったのである。正月は、柄が寅の方角を指す月である。人がはじめて化育にあずかる端緒であり、これを人統という。夏の暦はこの月を正月とし、服の色は黒を尊んだ。物が生まれ出るときの色が黒いことにかたどったのである。この三つの正月(三正)の律もまた、五行の徳によって代々受け継がれている。これは前の時代の三皇を正とするもので、天皇・地皇・人皇のことをいう。いずれも天・地・人を法とし、めぐってはまた始めに戻る。その年の初めに記す名目は、これにちなんで名づけたものである。天・地・人の三才の道を体して、あらゆる国に君臨しようとするのである。だから天命を受けて王となる者は、必ず六律を調えて正朔(年の初めと月の初めの定め、つまり暦)を改め、五行の気を受けて服の色を改める。三正の道に則るのである。周が天統を用い、服の色で赤を尊んだのは、陽の道は左を尊ぶからで、それゆえ天は左にめぐる。周は木の徳によって王となり、火はその子であって、火の色は赤く左に行く。だからその赤色を用いたのである。殷が地統を用い、服の色で白を尊んだのは、陰の道は右を尊び、その運行は右にめぐるからである。殷は水の徳によって王となり、金はその母であって、金の色は白い。だから右に行き、その白色を用いた。夏が人統を用い、服の色で黒を尊んだのは、人もまた左を尊ぶからである。夏は金の徳によって王となり、水はその子であって、水の色は黒い。だから左に行き、その黒色を用いた。またこうも言われる。帝王が興るときには、多くめでたいしるし(符瑞)に従う。周は赤い雀の瑞兆に感じたので赤を尊んだ。殷は白い狼を招き寄せたので白を尊んだ。夏は黒い玉の圭(元珪)を天から賜ったので黒を尊んだ。これらはみな、王となる気があらかじめ示すしるしであり、子と母が助け合うという道理である。漢が火の徳で興ったとき、土星である鎮星の精が降って黄色い石となり、張良(子房)に兵法の書を授けて、沛公(劉邦)を助けて楚を滅ぼさせたというようなことも、五行の運のめぐりの色が互いに助け合ってはたらいたものではなかろうか。孔子はこう言っている。
解説
この章句が説くこと
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史記 暦書夏正は正月を以てし、殷正は十二月を以てし、周正は十一月を以てす。蓋し三王の正は循環するが若し、窮まれば則ち本に反る。天下道有れば、則ち紀序を失はず。道無ければ、則ち正朔諸侯に行はれず。幽・厲の後、周室微にして、陪臣政を執り、史は時を記さず、君は朔を告げず、故に疇人の子弟分散し、或いは諸夏に在り、或いは夷狄に在り、是を以て其の禨祥廃れて統べず。周の襄王の二十六年、三月に閏す、而して春秋之を非とす。先王の時を正すや、端を始めに履み、正を中に挙げ、邪を終はりに帰す。端を始めに履めば、序は則ち愆らず。正を中に挙ぐれば、民は則ち惑はず。邪を終はりに帰せば、事は則ち悖らず。其の後戦国并び争ひ、彊国禽敵、急を救ひ紛を解くに在るのみ、豈に斯を念ふに遑あらんや。是の時独り鄒衍有り、五徳の伝に明らかにして、消息の分を散じ、以て諸侯に顕る。而して亦秦の六国を滅ぼすに因り、兵戎極めて煩しく、又至尊に升る日浅く、未だ暇遑あらざるなり。而して亦頗る五勝を推し、自ら以為へらく水徳の瑞を獲たりと、河を更名して「徳水」と曰ひ、而して正は十月を以てし、色は黒を上ぶ。然れども暦度閏余、未だ能く其の真を睹ざるなり。漢興り、高祖曰く「北畤我を待ちて起こる」と、亦自ら以為へらく水徳の瑞を獲たりと。暦を明習するもの及び張蒼等と雖も、咸以て然りと為す。是の時天下初めて定まり、方に大基を綱紀し、高后は女主にして、皆未だ遑あらず、故に秦の正朔服色を襲ふ。孝文の時に至り、魯人公孫臣、終始五徳を以て上書し、言ふ「漢は土徳を得たり、宜しく元を更め、正朔を改め、服色を易ふべし。当に瑞有るべし、瑞は黄龍見はれん」と。事、丞相張蒼に下る、張蒼も亦律暦を学ぶ、以て是に非ずと為し、之を罷む。其の後黄龍成紀に見はれ、張蒼自ら黜け、論著せんと欲する所成らず。
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五行大義・第十五論律呂「夏の正は天を得たり」と。此れ天道四時の気を得て、八節生殺の期に応ずるを謂うなり。故に云う、「夏の時を行い、殷の輅(ろ)に乗り、周の冕(べん)を服す」と。三代を兼ねて法と為すは、蓋しその久しかるべき者を取るなり。秦は建亥(けんがい)の月を以て歳首と為す。漢の初めは、秦の正朔に因る。魏より已後は、自ら夏正を用いて、今に至るまで改むること無し。その天の気を得たるを以てなり。又、遁甲(とんこう)・太乙(たいいつ)・九宮・元辰は、皆三元有りて、並びに甲子より起こす。初めを天元と為して六甲を尽くし、次の甲子を地元と為し、又次の甲子を人元と為す。遁甲は冬夏の二至の後、甲己の日の夜半の時を以て、甲子の元首と為す。三元各々分かれて三と為る。故に一百八十日を元卒と為し、陰陽の両道にて一歳の用を尽くす。太一は初元の甲子六十年を以て一紀と為し、次の甲子を第二紀と為し、六紀三百六十年を満たして一周と為す。九宮は別に己亥(きがい)を以て元首と為し、分かちて五元と為す。初めの己亥六十年を天元と為し、次の己亥六十年を地元と為し、次の己亥六十年を人元と為し、次の己亥六十年を河元と為し、次の己亥六十年を海元と為す。九年にして一周し、四九三十六、亦た六甲の大数を周(めぐ)るなり。三元と正朔とは、並びに律呂に従い、暦に応じて時を定め、皆五行に配す。故に同じく此に釈す。
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五行大義・第十五論律呂故に即位を以て正と為す。陰徳は他に在り、故にその衝を取る。『漢書』律暦志に云う、三元とは、天施・地化・人事の紀なり。十一月、乾の初九、陽気地下に伏し、始めて著れて一と為り、万物萌動し、太陰に鐘(あつま)る。故に黄鐘を天元と為す。律の長さ九寸。九は、中和を窮極して、万物の元と為る所以なり。易に曰く、天の道を立つ、陰と陽と曰う、是れなり。六月、坤の初六、陰気は任を太陽に受け、継養化柔し、万物生長す。これを楙(しげ)らしめ、未に種をして剛強大ならしむ。故に林鐘を地元と為す。律の長さ六寸。六は、陰の陽の施しを承け、これを六合の内に楙らしめ、剛柔をして体有らしむる所以なり。地の道を立つ、柔と剛と曰う、是れなり。乾は大始を知り、坤は成物を作す。正月、乾の九三、万物棣通(ていつう)し、寅に族出す。人奉じてこれを成し、仁以てこれを養い、義以てこれを行い、事物をして各々その理を得しむ。寅は木なり、仁たり。その声は商なり、義たり。故に大簇を人元と為す。律の長さ八寸。八は卦に象る。庖羲(ほうぎ)氏の天地に順い、神明に通じ、万物の情に類する所以なり。人の道を立つ、仁と義と曰う、是れなり。天に在りては象を成し、地に在りては形を成す。后以て天地人の道を裁成す。是れを三元と為す。律の始めなり、と。『感精符』に云う、十一月建子、天の始めて施すの端、これを天統と謂う。周の正は服色赤を尚ぶ、物の萌色赤きに象るなり、と。
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『長短経』君徳帝王、号を改むるに、五行の徳に於て、各々尚ぶ所有り。其の王たる所の徳に従いて次ぐ。〔木家の次位は火なり。木家は赤を尚ぶ。木徳義の府を以て其の母に循い、其の子を兼ぬるなり。〕夏后氏は金徳を以て王として黒を尚び、殷人は水徳を以て王として白を尚ぶ。〔水家は青を尚ぶ。而るに白を尚ぶは、土家の青を尚ぶを避くるなり。土家は宜しく白を尚ぶべし。土為る者は四行の主にして、四季に主たり。五行の用事は、先ず木より起こる。故に土家は木の色青きを尚ぶなり。〕周人は木徳を以て王として色は赤を尚ぶ。此れ三代の同じからざる所以なり。漢の初めに及び、孫臣・賈誼は以為えらく漢は土徳なりと。五行の伝を以て、勝たざる所に従う。〔伝は移の伝なり。五行相い代わるは、常に金木水火土相い勝つの法に従うなり。〕秦は水徳に在り。故に漢は土に拠りて之に剋つと謂う。劉向父子は以為えらく帝は震より出づ。故に庖犧氏は始めて木徳を受く。其の後は母を以て子に伝え、終わりて復た始まる。神農・黄帝より、下って唐虞三代を歴て、漢は火を得たり。故に高祖始めて起こるや、神母夜に号し、赤帝の符を著す。天統を得たるなり。昔、共工は水徳を以て木火の間に間たり。秦と運を同じくす。其の次に非ず。故に皆な永からざるなり。
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孔子家語・五帝康子曰わく、「此くの如きの言ならば、帝王の号を五行の徳に改むるに、各々統ぶる所有り。則ちその相変わる所以は、皆何事をか主とするや。」孔子曰わく、「尚ぶ所は則ち各々その王たる所の徳の次に従う。夏后氏は金徳を以て王たり、色は黒を尚び、大事の斂は昏を用い、戎事は驪に乗り、牲は玄を用う。殷人は水徳を用いて王たり、色は白を尚び、大事の斂は日中を用い、戎事は翰に乗り、牲は白を用う。周人は木徳を以て王たり、色は赤を尚び、大事の斂は日出を用い、戎事は騵に乗り、牲は騂を用う。此れ三代の同じからざる所以なり。」康子曰わく、「唐虞の二帝は、その尚ぶ所は何色ぞや。」孔子曰わく、「堯は火徳を以て王たり、色は黄を尚ぶ。舜は土徳を以て王たり、色は青を尚ぶ。」
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呂氏春秋・應同①凡そ帝王なる者の將に興らんとするや、天必ず先づ祥を下民に見わず。黄帝の時、天先づ大螾大螻を見わす。黄帝曰く、「土氣勝つ。」土氣勝つ、故に其の色は黄を尚び、其の事は土に則る。禹の時に及び、天先づ草木の秋冬に殺れざるを見わす。禹曰く、「木氣勝つ。」木氣勝つ、故に其の色は青を尚び、其の事は木に則る。湯の時に及び、天先づ金刃の水より生ずるを見わす。湯曰く、「金氣勝つ。」金氣勝つ、故に其の色は白を尚び、其の事は金に則る。文王の時に及び、天先づ赤烏の丹書を銜えて、周社に集まるを見わす。文王曰く、「火氣勝つ。」火氣勝つ、故に其の色は赤を尚び、其の事は火に則る。日に代わる者は必ず將に水ならんとす。天且に先づ水氣の勝つを見わさんとす。水氣勝つ、故に其の色は黒を尚び、其の事は水に則る。水氣至りて數の備わるを知らざれば、將に土に徙らんとす。天の為すは時にして、農を下に助けず。類は固より相召く。氣同じければ則ち合し、聲比すれば則ち應ず。宮を鼓すれば宮動き、角鼓すれば角動く。地を平らかにして水を注げば、水は溼に流れ、薪を均しくして火を施せば、火は燥に就く。山雲は草莽のごとく、水雲は魚鱗のごとく、旱雲は煙火のごとく、雨雲は水波のごとく、其の生ずる所に比類して以て人に示さざるは無し。故に龍を以て雨を致し、形を以て影を逐う。師の處る所は、必ず棘楚を生ず。禍福の自りて來たる所、衆人以て命と為す。安くんぞ其の所を知らん。
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