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五行大義 / 第七論徳

謂子能扶助其母。有孝養之性。以爲德也。凡干爲陽。支爲陰。陽體剛強自在。陰體柔順從陽。婦人有三從之禮。每無自專之義。夫死從子。故以子爲德。若有支干。各自爲德。皆從其夫。既今支干共爲德。故離其夫位。故便從子也。子德。在甲者。水爲木母故也。例皆如之。一從月氣爲德者。德不孤立。對之以刑。德爲陽以從乾。刑爲陰以從坤。亦如人之治政。刑德兩施。德有慶賜爵賞。所以配陽。刑有殺罰削奪。所以配陰。故王者日蝕則脩德。月蝕則修刑。董仲舒春秋繁露云。天道之常。一陽一陰。陽者天之德。陰者天之刑。陰陽以終歲之行。以觀天之所親任。可以見德刑之用矣。然天之任陽不任陰。好德不好刑。故陽出而積於夏。任德以歲事。陰出而積於冬。錯刑以空處也。太公云。人主舉事善。則天應之以德。惡。則天應之以刑。此竝陰陽相對。德不獨治。須偶之以刑也。從乾巛二卦之氣者。十月坤卦用事。自十一月而陽氣動。陰爻變。四月乾卦用事。自五月而陰氣動。陽爻變。故黃鐘蕤賓。陰陽之氣始也。

新字:謂子能扶助其母。有孝養之性。以為徳也。凡干為陽。支為陰。陽体剛強自在。陰体柔順従陽。婦人有三従之礼。毎無自専之義。夫死従子。故以子為徳。若有支干。各自為徳。皆従其夫。既今支干共為徳。故離其夫位。故便従子也。子徳。在甲者。水為木母故也。例皆如之。一従月気為徳者。徳不孤立。対之以刑。徳為陽以従乾。刑為陰以従坤。亦如人之治政。刑徳両施。徳有慶賜爵賞。所以配陽。刑有殺罰削奪。所以配陰。故王者日蝕則脩徳。月蝕則修刑。董仲舒春秋繁露云。天道之常。一陽一陰。陽者天之徳。陰者天之刑。陰陽以終歳之行。以観天之所親任。可以見徳刑之用矣。然天之任陽不任陰。好徳不好刑。故陽出而積於夏。任徳以歳事。陰出而積於冬。錯刑以空処也。太公云。人主舉事善。則天応之以徳。悪。則天応之以刑。此並陰陽相対。徳不独治。須偶之以刑也。従乾巛二卦之気者。十月坤卦用事。自十一月而陽気動。陰爻変。四月乾卦用事。自五月而陰気動。陽爻変。故黄鐘蕤賓。陰陽之気始也。

書き下し

謂うこころは、子能く其の母を扶助し、孝養の性有り、以て徳と為すなり。凡そ干は陽たり、支は陰たり。陽の体は剛強にして自ら在り、陰の体は柔順にして陽に従う。婦人には三従の礼有り、毎に自ら専らにするの義無し。夫死すれば子に従う。故に子を以て徳と為す。若し支干有りて、各自ら徳を為さば、皆其の夫に従う。既に今支干共に徳を為す、故に其の夫の位を離れ、故に便ち子に従うなり。子の徳の甲に在るは、水は木の母たるが故なり。例皆之の如し。一に月気より徳と為すとは、徳は孤立せず、之に対するに刑を以てす。徳は陽たりて以て乾に従い、刑は陰たりて以て坤に従う。亦人の政を治むるに、刑徳両つながら施すが如し。徳には慶賜爵賞有り、所以に陽に配す。刑には殺罰削奪有り、所以に陰に配す。故に王者は日蝕すれば則ち徳を脩め、月蝕すれば則ち刑を修む。董仲舒の春秋繁露に云う、天道の常は、一陽一陰。陽は天の徳、陰は天の刑なり。陰陽の終歳の行いを以て、以て天の親任する所を観れば、以て徳刑の用を見るべし。然れども天の陽に任じて陰に任ぜず、徳を好みて刑を好まず。故に陽は出でて夏に積み、徳に任じて以て歳事す。陰は出でて冬に積み、刑を空処に錯(お)くなり、と。太公云う、人主事を挙げて善なれば、則ち天之に応ずるに徳を以てし、悪なれば、則ち天之に応ずるに刑を以てす、と。此れ竝びに陰陽相対し、徳は独り治めず、須らく之に偶するに刑を以てすべきなり。乾巛(けんこん)二卦の気に従うとは、十月は坤卦事を用い、十一月より陽気動き、陰爻変ず。四月は乾卦事を用い、五月より陰気動き、陽爻変ず。故に黄鐘(こうしょう)・蕤賓(すいひん)は、陰陽の気の始めなり。

現代語訳

つまり、子はその母を助け、孝行して養う性質があるので、それを徳とするのである。およそ干は陽であり、支は陰である。陽の本体は剛く強くて自立しており、陰の本体は柔らかく従順で陽に従う。婦人には三従(嫁ぐ前は父に、嫁いでは夫に、夫の死後は子に従う)の礼があり、常に自分で事を決めるという意味はない。夫が死ねば子に従う。だから子を徳とするのである。もし支と干がそれぞれ別々に徳となるのであれば、みなその夫に従う。いまは支と干がともに徳となるので、その夫の位を離れ、そこで子に従うのである。子の徳が甲にあるのは、水は木の母だからである。ほかの例もみなこれと同じである。もう一つ、月の気から徳とするものについて。徳は単独では立たず、それに対して刑がある。徳は陽であって乾に従い、刑は陰であって坤に従う。人が政治を行うときに、刑と徳の両方を施すのと同じである。徳には恩賞・下賜・爵位・褒美があるので陽に配し、刑には死刑・処罰・領地の削減・没収があるので陰に配する。だから王者は日食があれば徳を修め、月食があれば刑を正す。董仲舒の『春秋繁露』にはこうある。「天の道の常は、一つの陽と一つの陰である。陽は天の徳であり、陰は天の刑である。陰陽の一年の運行によって、天が何を信任しているかを見れば、徳と刑の用い方がわかる。しかし天は陽に任せて陰に任せず、徳を好んで刑を好まない。だから陽は出てきて夏に積もり、徳に任せて一年の仕事をさせる。陰は出てきて冬に積もり、刑を何もない所に置いておくのである」。太公(太公望呂尚)はこういう。「君主が事を起こしてそれが善ければ、天は徳で応え、悪ければ、天は刑で応える」。これらはいずれも陰と陽が向かい合っており、徳だけで治めることはなく、必ず刑を組み合わせなければならないということである。乾と坤(巛)の二つの卦の気に従うというのは次のことである。十月には坤の卦がはたらき、十一月から陽の気が動いて陰の爻が変わる。四月には乾の卦がはたらき、五月から陰の気が動いて陽の爻が変わる。だから黄鐘(十一月の律)と蕤賓(すいひん。五月の律)は、陰と陽の気の始まりなのである。

解説

支干合徳の理由の説明を終え、四つ目の徳である「月気の徳」、すなわち徳と刑の対を論じ始める段である。支干合徳が子に従う理由を、婦人の三従の礼に当てはめて説明するのは前の段と同じ論法である。後半の徳と刑の議論は、漢代の思想の中心的な主題の一つで、陽を徳(恩賞)、陰を刑(刑罰)に当て、政治には両方が必要だとする。董仲舒の『春秋繁露』陽尊陰卑篇を引き、天は徳を好んで刑を好まないので、陽は万物を育てる夏に積もり、陰は何もない冬に置かれると説く。これは法家的な刑罰一辺倒を批判し、徳を主とし刑を従とする儒家の統治論を、天の運行で裏づけたものである。日食のときに徳を修め、月食のときに刑を正すという習わしも、天象と政治を結びつける考え方をよく示している。最後に乾坤の二卦と十二か月の陰陽の消長を持ち出し、次の段で月ごとの徳と刑の位置を論じる準備をしている。褒めることと叱ることの配分は、今の組織運営や子育てでもいつも問われる問題である。

この章句が説くこと

五行大義徳刑董仲舒三従陰陽

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