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五行大義 / 第三明数・第四論納音数

納音數者。謂人本命所屬之音也。音。卽宮商角徴羽也。納者。取此音。以調姓所屬也。樂緯云。孔子曰。丘吹律定姓一言得土曰宮。三言得火曰徵。五言得水曰羽。七言得金曰商。九言得木曰角。此并是陽數。凡五行有生數。壯數。老數三種。木。生數三。壯數八。老數九。火。生數二。壯數七。老數三。土。生數五。壯數十。老數一。金。生數四。壯數九。老數七。水。生數一。壯數六。老數五。管輅云。土老數一者。土爲萬物之主。一切歸之。所以一也。三才交而人理具。火之爲德。取三才之義。故老數三。水。上應五星。下同五藏。故水老數五。金配七曜。故金老數七。木。在天爲九星。在地爲九州。在人爲九竅。故木老數九。先生數。次壯數。後老數。納音論其本命。故以終數言之。此釋猶爲未盡。夫萬物皆稟五常之氣。化合而生。物生之後。必至成壯。成壯之後。必有衰老。故有三種義。爲人之道。自壯及老。莫不本乎禮義。而以立身。然存禮義者。靡不有初。鮮克有終。今既論納音人之所屬。非人莫能行其禮義。故以終老之數。禮義明之。一言得土者。土以含弘德厚。位高爲君。君爲民主。主則無二。唱始之言。故數一也。

新字:納音数者。謂人本命所属之音也。音。即宮商角徴羽也。納者。取此音。以調姓所属也。楽緯云。孔子曰。丘吹律定姓一言得土曰宮。三言得火曰徴。五言得水曰羽。七言得金曰商。九言得木曰角。此并是陽数。凡五行有生数。壮数。老数三種。木。生数三。壮数八。老数九。火。生数二。壮数七。老数三。土。生数五。壮数十。老数一。金。生数四。壮数九。老数七。水。生数一。壮数六。老数五。管輅云。土老数一者。土為万物之主。一切帰之。所以一也。三才交而人理具。火之為徳。取三才之義。故老数三。水。上応五星。下同五蔵。故水老数五。金配七曜。故金老数七。木。在天為九星。在地為九州。在人為九竅。故木老数九。先生数。次壮数。後老数。納音論其本命。故以終数言之。此釈猶為未尽。夫万物皆稟五常之気。化合而生。物生之後。必至成壮。成壮之後。必有衰老。故有三種義。為人之道。自壮及老。莫不本乎礼義。而以立身。然存礼義者。靡不有初。鮮克有終。今既論納音人之所属。非人莫能行其礼義。故以終老之数。礼義明之。一言得土者。土以含弘徳厚。位高為君。君為民主。主則無二。唱始之言。故数一也。

書き下し

納音の数は、人の本命の属する所の音を謂うなり。音は即ち宮・商・角・徴・羽なり。納とは、此の音を取りて、以て姓の属する所を調うるなり。楽緯に云う、「孔子曰く、丘、律を吹きて姓を定む。一言にして土を得るを宮と曰い、三言にして火を得るを徴と曰い、五言にして水を得るを羽と曰い、七言にして金を得るを商と曰い、九言にして木を得るを角と曰う」と。此れ并びに是れ陽数なり。凡そ五行に生数・壮数・老数の三種有り。木は、生数三、壮数八、老数九。火は、生数二、壮数七、老数三。土は、生数五、壮数十、老数一。金は、生数四、壮数九、老数七。水は、生数一、壮数六、老数五。管輅(かんろ)云う、「土の老数の一なるは、土は万物の主たり、一切之に帰す、所以に一なり。三才交わりて人理具わる。火の徳たる、三才の義を取る、故に老数は三なり。水は、上は五星に応じ、下は五蔵に同じ、故に水の老数は五なり。金は七曜に配す、故に金の老数は七なり。木は、天に在りては九星と為り、地に在りては九州と為り、人に在りては九竅と為る、故に木の老数は九なり」と。先ず生数、次に壮数、後に老数。納音は其の本命を論ず、故に終数を以て之を言う。此の釈は猶お未だ尽くさずと為す。夫れ万物は皆五常の気を稟け、化合して生ず。物生じて後、必ず成壮に至る。成壮の後、必ず衰老有り。故に三種の義有り。人たるの道は、壮より老に及ぶまで、礼義に本づきて、以て身を立てざるは莫し。然れども礼義を存する者は、初め有らざる靡(な)きも、克(よ)く終わり有るは鮮(すく)なし。今既に納音の人の属する所を論ず。人に非ざれば能く其の礼義を行う莫し。故に終老の数を以て、礼義之を明らかにす。一言にして土を得る者は、土は含弘徳厚を以て、位高くして君たり。君は民の主たり、主は則ち二無し。唱始の言、故に数は一なり。

現代語訳

納音の数とは、人の本命(生まれた年の干支)が属する音をいう。音とは宮・商・角・徴・羽(五音)である。納とは、この音を取り入れて、その人の姓が属するところを調べ整えることである。『楽緯』(『楽』の緯書)には「孔子は言った。私は律管を吹いて姓を定める。一言で土を得るものを宮といい、三言で火を得るものを徴といい、五言で水を得るものを羽といい、七言で金を得るものを商といい、九言で木を得るものを角という」とある。これらはみな陽の数(奇数)である。およそ五行には生数・壮数・老数の三種類がある。木は生数三、壮数八、老数九。火は生数二、壮数七、老数三。土は生数五、壮数十、老数一。金は生数四、壮数九、老数七。水は生数一、壮数六、老数五である。管輅(三国魏の占術家)は言う。「土の老数が一であるのは、土は万物の主であり、すべてがこれに帰するからで、それで一なのである。天地人の三才が交わって人の道理が備わる。火の徳は三才の意味を取るので、老数は三である。水は、上は五星に応じ、下は五臓と同じであるので、水の老数は五である。金は七曜(日・月と五惑星)に配されるので、金の老数は七である。木は、天にあっては九星、地にあっては九州、人にあっては九竅(体の九つの穴)となるので、木の老数は九である」と。まず生数、次に壮数、最後に老数である。納音はその人の本命を論じるので、終わりの数で言うのである。しかしこの説明はまだ十分ではない。そもそも万物はみな五常の気を受け、それが化合して生まれる。物は生まれた後、必ず成熟し壮んな時期に至る。壮んな時期の後には、必ず衰え老いる時期がある。だから三種類の意味がある。人としての道は、壮年から老年に至るまで、礼と義にもとづいて身を立てないものはない。しかし礼義を保つ者は、初めはみなそうであっても、終わりまで全うできる者は少ない。いまここでは納音によって人の属するところを論じている。人でなければ礼義を行うことはできない。だから終わりの老数を用い、礼義によってその意味を明らかにするのである。「一言で土を得る」とは、土は広く包み込み徳が厚く、位が高くて君主にあたる。君主は民の主であり、主は二人とない。始めを唱える言葉であるので、数は一なのである。

解説

明数の第四「納音数」の冒頭である。納音とは、六十の干支それぞれに五音と五行を割り当てたもので、甲子乙丑は海中金というように、後の暦注や占いで生まれ年の性質を表すものとして広く使われた。この段では、その基礎となる一・三・五・七・九の数を説明する。『楽緯』では、孔子が律管を吹いて姓を定め、一言で土、三言で火、五言で水、七言で金、九言で木を得たとされ、これが納音の数だという。五行にはそれぞれ生数・壮数・老数があり、納音は人の生まれを論じるものだから、終わりの老数を用いるという。三国魏の占術家管輅の説明では、土は万物が帰するから一、火は三才にちなんで三、水は五星と五臓で五、金は七曜で七、木は九星・九州・九竅で九とされる。蕭吉はこれに満足せず、人は礼義を始めに持っても終わりまで全うする者は少ないから、終わりの数で人を論じるのだ、と倫理的な意味を加えている。初めは誰でも志を持つが、終わりまで保てる人は少ないという『詩経』の句を踏まえた戒めは、占いの話の中にあっても、人の生き方への鋭い一言になっている。

この章句が説くこと

五行大義納音五音管輅老数

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