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五行大義 / 第一釈名・第二論支干名

故體洗去。於是巳竟也。三禮義宗云。巳。起也。物至此時。皆畢盡而起。午者。仵也。亦云萼也。仲夏之月。萬物盛大。枝柯萼布於午。淮南子云。午者忤也。三禮義宗云。仵。長也。大也。明物皆長大也。未者。昧也。陰氣已長。萬物稍衰。體薆昧也。故曰。薆昧於未。淮南子云。未。味也。三禮義宗云。時物向成。皆有氣味。申者。伸。伸。猶引也。長也。衰老引長。淮南子云。申。呻也。三禮義宗云。申者。身也。物皆身體成就也。酉者。老也。亦云熟也。萬物老極而成熟也。淮南子云。酉。飽也。三禮義宗云。酉。猶也。猶。倫之義也。此時物皆縮小而成也。戌者。滅也。殺也。九月殺極。物皆滅也。三禮義宗云。此時物衰滅也。亥者。核也。閡也。十月閉藏。萬物皆入核閡。三禮義宗云。亥。劾也。言陰氣劾殺萬物也。爾雅歲次云。大歲在寅。名攝提格。淮南子注云。格。起也。萬物承陽而起。卯名單閼。單。盡。閼。止也。言陽氣推萬物而起。陰氣盡止也。

新字:故体洗去。於是巳竟也。三礼義宗云。巳。起也。物至此時。皆畢尽而起。午者。仵也。亦云萼也。仲夏之月。万物盛大。枝柯萼布於午。淮南子云。午者忤也。三礼義宗云。仵。長也。大也。明物皆長大也。未者。昧也。陰気已長。万物稍衰。体薆昧也。故曰。薆昧於未。淮南子云。未。味也。三礼義宗云。時物向成。皆有気味。申者。伸。伸。猶引也。長也。衰老引長。淮南子云。申。呻也。三礼義宗云。申者。身也。物皆身体成就也。酉者。老也。亦云熟也。万物老極而成熟也。淮南子云。酉。飽也。三礼義宗云。酉。猶也。猶。倫之義也。此時物皆縮小而成也。戌者。滅也。殺也。九月殺極。物皆滅也。三礼義宗云。此時物衰滅也。亥者。核也。閡也。十月閉蔵。万物皆入核閡。三礼義宗云。亥。劾也。言陰気劾殺万物也。爾雅歳次云。大歳在寅。名摂提格。淮南子注云。格。起也。万物承陽而起。卯名単閼。単。尽。閼。止也。言陽気推万物而起。陰気尽止也。

書き下し

故体洗い去り、是に於いて已(すで)に竟(お)わるなり。三礼義宗に云う、「巳は起なり。物此の時に至りて、皆畢尽して起つ」と。午(ご)は仵(ご)なり。亦た萼(がく)と云うなり。仲夏の月、万物盛大にして、枝柯(しか)午に萼布す。淮南子に云う、「午は忤(ご)なり」と。三礼義宗に云う、「仵は長なり、大なり。物皆長大なるを明らかにするなり」と。未(び)は昧なり。陰気已に長じ、万物稍く衰え、体薆昧(あいまい)たるなり。故に曰く、「未に薆昧す」と。淮南子に云う、「未は味なり」と。三礼義宗に云う、「時物成るに向かい、皆気味有り」と。申(しん)は伸なり。伸は猶お引のごとく、長のごときなり。衰老引長す。淮南子に云う、「申は呻なり」と。三礼義宗に云う、「申は身なり。物皆身体成就するなり」と。酉(ゆう)は老なり。亦た熟と云うなり。万物老い極まりて成熟するなり。淮南子に云う、「酉は飽なり」と。三礼義宗に云う、「酉は猶なり。猶は倫の義なり。此の時、物皆縮小して成るなり」と。戌(じゅつ)は滅なり、殺なり。九月殺極まり、物皆滅ぶなり。三礼義宗に云う、「此の時物衰滅するなり」と。亥(がい)は核なり、閡(がい)なり。十月閉蔵し、万物皆核閡に入る。三礼義宗に云う、「亥は劾(がい)なり。陰気の万物を劾殺するを言うなり」と。爾雅の歳次に云う、「大歳寅に在るを、攝提格(せっていかく)と名づく」と。淮南子注に云う、「格は起なり。万物陽を承けて起つ」と。卯を単閼(たんあつ)と名づく。単は尽、閼は止なり。陽気万物を推して起こし、陰気尽き止むを言うなり。

現代語訳

(巳は)古い姿を洗い去り、ここですでに終わりを迎えるのである。『三礼義宗』には「巳は起(おきる)である。物はこの時期に至ると、みな(古い姿を)終え尽くして起き上がる」とある。午は仵(さからう・ならぶ)である。また萼(がく・花の台)ともいう。仲夏の月(五月)には万物が盛んに大きくなり、枝が午の時期に花の萼のように広がる。『淮南子』には「午は忤(さからう)である」とある。『三礼義宗』には「仵は長である、大である。物がみな長く大きくなったことを明らかにしている」とある。未は昧(くらい)である。陰の気がすでに伸び、万物はしだいに衰え、その姿はぼんやりと暗くなる。だから「未において薄暗くなる」という。『淮南子』には「未は味(あじ)である」とある。『三礼義宗』には「この時期の物は成熟に向かい、みな味わいを持つようになる」とある。申は伸である。伸とは引くというようなもの、長くなるというようなものである。衰え老いたものが引き伸ばされる。『淮南子』には「申は呻(うめく)である」とある。『三礼義宗』には「申は身である。物がみな身体として完成するのである」とある。酉は老である。また熟ともいう。万物が老い極まって成熟するのである。『淮南子』には「酉は飽(みちたりる)である」とある。『三礼義宗』には「酉は猶である。猶とは倫(ととのう)の意味である。この時期、物はみな縮まり小さくなって完成する」とある。戌は滅(ほろびる)であり、殺(そぐ)である。九月は殺の気が極まり、物がみな滅びるのである。『三礼義宗』には「この時期に物は衰え滅びるのである」とある。亥は核(たね)であり、閡(とざす)である。十月は閉ざしてしまい込む時で、万物はみな種の中、閉ざされた所に入る。『三礼義宗』には「亥は劾(きびしくただす)である。陰の気が万物を厳しく締めつけ枯らすことをいう」とある。『爾雅』の歳次の条には「大歳(歳星と対になって天をめぐる仮想の星)が寅にある年を攝提格という」とある。『淮南子』の注には「格は起である。万物が陽の気を受けて起き上がる」とある。卯にある年を単閼という。単は尽きる、閼は止まるである。陽の気が万物を押し起こし、陰の気が尽きて止むことをいう。

解説

十二支の後半、巳から亥までの意味と、太歳の年の古い呼び名の始まりを述べる段である。巳で古い姿を脱ぎ終え、午で枝葉が大きく広がり、未で陰気が伸びて味わいが生じ、申で身体が完成し、酉で熟し、戌で衰え滅び、亥で種の中にしまい込まれる、と一年の後半が語られる。前段の子から辰までと合わせると、十二支は陽気が生まれて伸び、極まって陰気に転じ、また種に戻るという円環を表していることがわかる。後半に引かれる『爾雅』の歳次は、木星の反対側をめぐると考えられた太歳が十二支のどこにあるかで年に名をつける方式で、攝提格・単閼などの独特な名は、屈原の『離騒』にも「攝提貞于孟陬兮」と現れる古い呼び名である。その名の意味にも陰陽の消長が読み込まれている。十二支を、生まれ、育ち、衰え、また蓄えるという周期として見ると、物事には伸びる時と引く時があるという当たり前の知恵が、暦という形で繰り返し確かめられてきたことに気づく。

この章句が説くこと

五行大義十二支太歳爾雅午未

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