言志四録 / 言志耋録 第百十七条 我が情は即ち人の情
人心感應。磁石之吸鐵也。勿謂人情難測。我情即是人情。
新字:人心感応。磁石之吸鉄也。勿謂人情難測。我情即是人情。
書き下し
人心の感応は、磁石の鉄を吸ふがごときなり。人情測り難しと謂ふこと勿れ。我が情は即ち是れ人の情なり。
現代語訳
人の心の感応は、磁石が鉄を引きつけるようなものである。人の気持ちは推し量りがたいなどと言ってはならない。自分の気持ちが、そのまま人の気持ちなのである。
解説
前条に続いて感応を論じた一条です。人の心が互いに感じ応じ合うさまを、磁石が鉄を引きつけるさまにたとえます。目には見えなくても、確かに引き合う力がはたらいているということです。そこから一斎は、人情は測りがたいと言ってはならないと戒めます。自分の情がそのまま人の情だからです。これは『論語』の「己の欲せざる所は人に施す勿れ」や、己の心から推して人を思いやる「恕」の考えに通じます。相手の気持ちがわからないと嘆く前に、自分が同じ立場ならどう感じるかを確かめてみる。部下や顧客の心をつかめないと感じるとき、その手がかりはまず自分の中にある、ということを思い出させる条です。
この章句が説くこと
感応人情恕共感人を見る目
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『春秋左氏伝』昭公四年 人と欲を同じくす殷は是を以って隕(お)ち、周は是を以って興る。夫れ豈に諸侯を爭はんや」と。乃ち楚の使を許す。叔向をして對へしめて曰く、「寡君社稷の事有り、是を以って春秋の時に諸侯に見ゆるを獲ず。君實に之を有(たも)つ、何ぞ命を辱くせん」と。椒舉遂に昏を請ふ。晉侯之を許す。楚子子產に問ひて曰く、「晉は其れ我に諸侯を許さんか」と。對へて曰く、「君に許さん。晉君は少安を事とし、諸侯に在らず。其の大夫は求むること多く、其の君を匡すこと莫し。宋の盟に在りて、又一の如しと曰ふ。若し君に許さずんば、將た焉んぞ之を用ゐん」と。王曰く、「諸侯其れ來らんか」と。對へて曰く、「必ず來らん。宋の盟に從ひ、君の歡を承け、大國を畏れず。何の故に來らざらん。來らざる者は、其れ魯・衛・曹・邾か。曹は宋を畏れ、邾は魯を畏れ、魯・衛は齊に偪(せま)られて晉に親しむ。唯だ是れ來らず。其の餘は君の及ぶ所なり、誰か敢へて至らざらん」と。王曰く、「然らば則ち吾が求むる所の者、可ならざる無きか」と。對へて曰く、「逞(こころよ)きを人に求むるは、不可なり。人と欲を同じくせば、盡く濟らん」と。
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