言志四録 / 言志耋録 第四十一条 欲念消ゆれば浴後の醒快
人欲起時。如身在熱湯。欲念消時。如浴後醒快。
書き下し
人欲の起る時は、身の熱湯に在るが如し。欲念の消ゆる時は、浴後の醒快なるが如し。
現代語訳
私欲が起こっているときは、まるで身が熱湯の中にあるようなものだ。欲の思いが消えたときは、湯上がりのように、さっぱりと心地よい。
解説
私欲にとらわれているときの心を熱湯に浸かった体に、欲が消えたときの心を湯上がりの爽快さにたとえた、身体感覚に訴える一条です。欲にかられているあいだ、人は熱に浮かされたように落ち着かず、判断もせわしなくなります。ところがその思いが去ると、同じ自分が驚くほど軽くなる。一斎は欲を抑えよと説教するのではなく、欲が消えた後の心地よさを思い出させることで、読み手に自分で気づかせようとしています。晩年の『言志耋録』には、このように体感から心の状態を語る条が少なくありません。何かに強く執着しているとき、それが熱湯の中にいる状態ではないかと立ち止まるきっかけになる言葉です。
この章句が説くこと
人欲心の状態執着爽快身体感覚
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