言志四録 / 南洲手抄
心爲靈。其條理動於情識、謂之欲。欲有公私、情識之通於條理爲公。條理之滯於情識爲私。自辨其通滯者、即便心之靈。
新字:心為霊。其条理動於情識、謂之欲。欲有公私、情識之通於条理為公。条理之滞於情識為私。自弁其通滞者、即便心之霊。
書き下し
心を霊と為す。其の条理の情識に動く、之を欲と謂ふ。欲に公私有り、情識の条理に通ずるを公と為す。条理の情識に滞るを私と為す。自ら其の通と滞とを弁ずるは、即ち心の霊なり。
現代語訳
心はもっとも霊妙なものだ。その心の筋道(条理)が感情や意識にはたらいて動くもの、これを「欲」という。欲には公私の別がある。感情が筋道に沿ってのびのび通じるのが「公」、筋道が感情のところで詰まって滞るのが「私」である。そしてその通じているか滞っているかを自分で見分けられること、それこそが心の霊妙さである。
解説
欲を頭ごなしに否定せず、「公私」で腑分けする一条です。一斎は、欲そのものを悪とはしません。心の道理が感情を通じてのびやかに働くなら「公の欲」、道理が感情のところで自分本位に詰まってしまえば「私の欲」。両者を分けるのは、通っているか滞っているかという一点です。そして、その通・滞をその都度自分で見分けられる働き——これこそ心の霊妙さだと言います。欲を抑圧するのでなく、公私を自ら判別して使いこなす。欲望と付き合う成熟した知恵を説いた、深い一条です。
この章句が説くこと
公私欲心の霊自己観察
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