言志四録 / 言志後録 第九十五条 赤子は先づ好悪を知る
赤子先知好惡。好屬愛邊。仁也。惡。屬羞邊。義也。心之靈光。自然如是。
新字:赤子先知好悪。好属愛辺。仁也。悪。属羞辺。義也。心之霊光。自然如是。
書き下し
赤子は先づ好悪を知る。好は愛の辺に属す、仁なり。悪は羞の辺に属す、義なり。心の霊光、自然に是くの如し。
現代語訳
赤ん坊はまず好むことと憎むことを知る。好むことは愛の側に属し、それは仁である。憎むことは恥じる心の側に属し、それは義である。心の霊妙な光は、おのずからこのように働くのである。
解説
先の条で、胎内の「一点の霊光」が生まれると同時に好悪となって現れると説いた一斎は、ここでその好悪を仁と義に結びつけます。好むことは愛の側にあって仁の芽生えであり、憎むことは恥じる心の側にあって義の芽生えだというのです。孟子は「惻隠の心は仁の端なり、羞悪の心は義の端なり」と四端を説きましたが、一斎はそれを赤子の最も素朴な好き嫌いにまでさかのぼらせています。善悪の判断は外から教え込まれる以前に、心に自然に備わっているという見方です。人を育てるとき、ルールを教え込むことと並んで、その人がもともと持っている好悪の感覚を正しく伸ばすことにも目を向けてよいのではないか、と考えさせてくれます。
この章句が説くこと
好悪仁義四端霊光赤子
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