学問のすゝめ / 十七編・人望論・人にして人を毛嫌いするなかれ
人類多しといえども、鬼にもあらず蛇にもあらず、ことさらにわれを害せんとする悪敵はなきものなり。恐れはばかるところなく、心事を丸出しにしてさっさと応接すべし。ゆえに交わりを広くするの要は、この心事をなるたけ沢山にして、多芸多能一色に偏せず、さまざまの方向によりて人に接するにあり。あるいは学問をもって接し、あるいは商売によりて交わり、あるいは書画の友あり、あるいは碁・将棋の相手あり、およそ遊冶放蕩の悪事にあらざるより以上のことなれば、友を会するの方便たらざるものなし。あるいはきわめて芸能なき者ならばともに会食するもよし、茶を飲むもよし。なお下りて筋骨の丈夫なる者は腕押し、枕引き、足角力も一席の興として交際の一助たるべし。腕押しと学問とは道同じからずして相ともに謀るべからざるようなれども、世界の土地は広く、人間の交際は繁多にして、三、五尾の鮒が井中に日月を消するとは少しく趣を異にするものなり。人にして人を毛嫌いするなかれ。
書き下し
人類多しといえども、鬼にもあらず蛇にもあらず、ことさらにわれを害せんとする悪敵はなきものなり。恐れはばかるところなく、心事を丸出しにしてさっさと応接すべし。ゆえに交わりを広くするの要は、この心事をなるたけ沢山にして、多芸多能一色に偏せず、さまざまの方向によりて人に接するにあり。あるいは学問をもって接し、あるいは商売によりて交わり、あるいは書画の友あり、あるいは碁・将棋の相手あり、およそ遊冶放蕩の悪事にあらざるより以上のことなれば、友を会するの方便たらざるものなし。あるいはきわめて芸能なき者ならばともに会食するもよし、茶を飲むもよし。なお下りて筋骨の丈夫なる者は腕押し、枕引き、足角力も一席の興として交際の一助たるべし。腕押しと学問とは道同じからずして相ともに謀るべからざるようなれども、世界の土地は広く、人間の交際は繁多にして、三、五尾の鮒が井中に日月を消するとは少しく趣を異にするものなり。人にして人を毛嫌いするなかれ。
現代語訳
人類は多いといっても、鬼でもなく蛇でもなく、わざわざ自分を害そうとする悪い敵はないものです。恐れはばかることなく、心の内をさらけ出してさっさと応対すべきです。ですから交わりを広げる要は、この心の内をできるだけ多方面にして、多芸多能で一つに偏らず、さまざまの方向から人に接することにあります。学問で接することもあり、商売で交わることもあり、書画の友もあり、碁や将棋の相手もあり、およそ遊興放蕩の悪事でない限りは、友を集める手立てにならないものはありません。あるいはまったく芸能のない者なら、一緒に食事をするのもよく、茶を飲むのもよい。なお下って筋骨の丈夫な者は、腕相撲、枕引き、足相撲も一席の興として交際の助けになるでしょう。腕相撲と学問とは道が同じでなくて互いに語り合えないようですが、世界の土地は広く、人の交わりは多様で、三匹五匹の鮒が井戸の中で月日を送るのとは少し趣を異にするものです。人でありながら人を毛嫌いしてはなりません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』十七編・人望論・十人に遭うて一人の偶然に当たらば第三 「道同じからざれば相ともに謀らず」と。世人またこの教えを誤解して、学者は学者、医者は医者、少しくその業を異にすれば相近づくことなし、同塾同窓の懇意にても、塾を巣立ちしたる後に、一人が町人となり一人が役人となれば、千里隔絶、呉越の観をなす者なきにあらず。はなはだしき無分別なり。人に交わらんとするには、ただに旧友を忘れざるのみならず、兼ねてまた新友を求めざるべからず。人類相接せざれば互いにその意を尽くすこと能わず、意を尽くすこと能わざればその人物を知るに由なし。試みに思え、世間の士君子、いったんの偶然に人に遭うて生涯の親友たる者あるにあらずや。十人に遭うて一人の偶然に当たらば、二十人に接して二人の偶然を得べし。
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