学問のすゝめ / 十七編・人望論・気軽な人、気のおけぬ人
余輩もとより今の人民に向かいて、その交際、親子夫婦のごとくならんことを望むにあらざれども、ただその赴くべきの方向を示すのみ。今日俗間の言に人を評して、あの人は気軽な人と言い、気のおけぬ人と言い、遠慮なき人と言い、さっぱりした人と言い、男らしき人と言い、あるいは多言なれどもほどのよき人と言い、騒々しけれども悪からぬ人と言い、無言なれども親切らしき人と言い、こわいようなれどもあっさりした人と言うがごときは、あたかも家族交際の有様を表わし出して、和して真率なるを称したるものなり。
書き下し
余輩もとより今の人民に向かいて、その交際、親子夫婦のごとくならんことを望むにあらざれども、ただその赴くべきの方向を示すのみ。今日俗間の言に人を評して、あの人は気軽な人と言い、気のおけぬ人と言い、遠慮なき人と言い、さっぱりした人と言い、男らしき人と言い、あるいは多言なれどもほどのよき人と言い、騒々しけれども悪からぬ人と言い、無言なれども親切らしき人と言い、こわいようなれどもあっさりした人と言うがごときは、あたかも家族交際の有様を表わし出して、和して真率なるを称したるものなり。
現代語訳
私はもとより今の人民に向かって、その交わりが親子夫婦のようであれと望むのではなく、ただその向かうべき方向を示すだけです。今日、世間の言葉で人を評して、あの人は気軽な人と言い、気のおけない人と言い、遠慮のない人と言い、さっぱりした人と言い、男らしい人と言い、あるいは口数は多いがほどのよい人と言い、騒々しいが悪くない人と言い、無口だが親切らしい人と言い、こわそうだがあっさりした人と言うようなのは、まるで家族の交わりのありさまを表し出して、和やかで飾りがないことを称えたものです。
解説
理想を押しつけないと断ったうえで、世間の褒め言葉が集められます。気軽、気のおけない、さっぱり、口数は多いがほどがよい、無口だが親切らしい。性格はさまざまなのに、どれも和やかさと飾りのなさを指しています。人望の条件が特定の性格ではないことが、日常の言葉から帰納されているわけで、無口な人にも道があると示す配慮にもなっています。
この章句が説くこと
評語帰納多様真率日常
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