学問のすゝめ / 十七編・人望論・十人に遭うて一人の偶然に当たらば
第三 「道同じからざれば相ともに謀らず」と。世人またこの教えを誤解して、学者は学者、医者は医者、少しくその業を異にすれば相近づくことなし、同塾同窓の懇意にても、塾を巣立ちしたる後に、一人が町人となり一人が役人となれば、千里隔絶、呉越の観をなす者なきにあらず。はなはだしき無分別なり。人に交わらんとするには、ただに旧友を忘れざるのみならず、兼ねてまた新友を求めざるべからず。人類相接せざれば互いにその意を尽くすこと能わず、意を尽くすこと能わざればその人物を知るに由なし。試みに思え、世間の士君子、いったんの偶然に人に遭うて生涯の親友たる者あるにあらずや。十人に遭うて一人の偶然に当たらば、二十人に接して二人の偶然を得べし。
書き下し
第三 「道同じからざれば相ともに謀らず」と。世人またこの教えを誤解して、学者は学者、医者は医者、少しくその業を異にすれば相近づくことなし、同塾同窓の懇意にても、塾を巣立ちしたる後に、一人が町人となり一人が役人となれば、千里隔絶、呉越の観をなす者なきにあらず。はなはだしき無分別なり。人に交わらんとするには、ただに旧友を忘れざるのみならず、兼ねてまた新友を求めざるべからず。人類相接せざれば互いにその意を尽くすこと能わず、意を尽くすこと能わざればその人物を知るに由なし。試みに思え、世間の士君子、いったんの偶然に人に遭うて生涯の親友たる者あるにあらずや。十人に遭うて一人の偶然に当たらば、二十人に接して二人の偶然を得べし。
現代語訳
第三に、道が同じでなければ互いに語り合わない、という言葉があります。世の人はまたこの教えを誤解して、学者は学者、医者は医者、少し職業が異なれば互いに近づくことがなく、同じ塾で同じ窓に学んだ親しい間柄でも、塾を巣立った後に一人が町人となり一人が役人となれば、千里も隔たって呉と越のように見る者がないではありません。甚だしい分別のなさです。人と交わろうとするには、ただ旧友を忘れないだけでなく、あわせてまた新しい友を求めねばなりません。人と人が接しなければ互いにその思いを尽くすことができず、思いを尽くせなければその人物を知るすべがありません。試しに考えてみなさい。世の士で、ふとした偶然に人と出会って生涯の親友となった者があるではありませんか。十人に会って一人の偶然に当たるなら、二十人に接すれば二人の偶然を得られるはずです。
解説
この章句が説くこと
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論語・陽貨篇公山弗擾、費を以て畔く。召く。子往かんと欲す。子路説ばずして曰く、「之く末きのみ。何ぞ必ずしも公山氏に之れ之かん。」子曰く、「夫れ我を召く者は、豈に徒ならんや。如し我を用うる者有らば、吾其れ東周を為さんか。」
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『墨子』尚賢下今、王公大人の其の富ます所、其の貴くする所は、皆な王公大人の骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者なり。今、王公大人の骨肉の親、故無くして富貴なる、面目美好なる者、焉くんぞ故に必ず知ならんや。若し知ならずして、其の國家を治めしめば、則ち其の國家の亂るること得て知る可きなり。今、天下の士君子は皆な富貴を欲して貧賤を惡む。然らば女、何を為して富貴を得て貧賤を辟けんとするか。曰く、王公大人の骨肉の親と為るに若くは莫し。王公大人の骨肉の親無く、故無くして富貴なる、面目美好なる者無きは、此れ學びて能くす可き者に非ざるなり。辯を知らざらしめ、徳行の厚きこと禹・湯・文・武の若きも加えて得られず、王公大人の骨肉の親は、蹙み瘖え聾し、暴なること桀・紂の若きも加えて失われず。是の故に賞を以て賢に當たらず、罰は暴に當たらず。其の賞する所の者は已に故無く、其の罰する所の者も亦た罪無し。是を以て百姓をして皆な心を攸れ體を解かしめ、沮みて以て善を為し、其の股肱の力を隳きて相い勞い來たらざらしめ、餘財を腐臭せしめて相い分ち資らざらしめ、良道を隠匿して相い教誨せざらしむ。此くの若くんば、則ち飢えたる者は推して之を上せざるを以てなり。
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説苑・立節斉の崔杼荘公を弑す。邢蒯瞶晋に使いして反る。其の僕曰わく、「崔杼荘公を弑せり、子将に奚くにか如かんとす」と。邢蒯瞶曰わく、「之を駆れ、将に入りて死して君に報いん」と。其の僕曰わく、「君の無道なるや、四鄰の諸侯聞かざる莫し。夫子を以て之に死するは亦難からずや」と。邢蒯瞶曰わく、「善く能く言えり。然れども亦晩し。子早く我に言わば、我能く之を諫めん。諫めて聴かれずんば我能く去らん。今既に諫めず又去らず。吾聞く、其の禄を食む者は其の事に死すと。吾既に乱君の禄を食めり、又安んぞ君を治めて之に死するを得んや」と。遂に車を駆りて死に入る。其の僕曰わく、「人乱君有りて、人猶お之に死す。我治長有り、死する毋かる可けんや」と。乃ち轡を結びて車上に自刎す。君子之を聞きて曰わく、「邢蒯瞶節を守り義に死すと謂う可し。死は人の難んずる所なり。僕夫の死するや、未だ義に合う能わずと雖も、然れども亦志有るの意なり。詩に云う、『夙夜懈らず、以て一人に事う』と、邢生の謂いなり。孟子曰わく、『勇士は其の元を喪うを忘れず』と、僕夫の謂いなり」と。
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尉繚子・武議良馬も策有れば、遠道致すべし。賢士も合有れば、大道明らかにすべし。
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論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」
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『武士道』第八章 名譽・我ら十三歳の時の又た有るべきか少壮、多く志を立てて郷関を出づるや、名もし成らずんば、死すとも帰らじと誓ひ、大志の母多く、愛児の、もし錦衣故郷に還るにあらずんば、再び相見ゆるを欲せず。されば恥を遠ざけ、名を獲んが為に、士人の子弟は心志を苦しめ、筋骨を労して、艱難の惨烈なるをも辞せざりき。而して少年の名誉は、年と共にやうやく長ずるものなるを知りたり。大阪冬の陣の時、紀伊頼宣、今年十三歳なりけるが、父家康に請ふて先鋒たらんとして許されず、ついに其殿軍に加はりたり。然るに落城の時に際し、敵と刃を交ふるの機無かりしを悔い、しきりに落涙に及びけるを、老臣あり、慰藉して『今日、御手に御あひなされず候とも、御急ぎなさるまじく候。御一代には、かやうの事、幾度も御座あるべく候』と諫めたれば、頼宣、之を聞き、其老臣を一睨して『我ら十三歳の時の、又た有るべきか』と叱したりと伝ふ。