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武士道 / 第八章 名譽・我ら十三歳の時の又た有るべきか

少壯多く志を立てゝ鄕關を出づるや名若し成らずんば、死すとも歸らじと誓ひ、大志の母多く、愛兒の、若し錦衣故鄕に還るにあらずんば、再び相見ゆるを欲せず。されば耻を遠ざけ、名を獲んが爲に、士人の子弟は、心志を苦しめ、筋骨を勞して、艱難の慘烈なるをも辭せざりき。而して少年の名譽は、年と共に漸く長ずるものなるを知りたり。大阪冬の陣の時、紀伊賴宣、今年十三歳なりけるが、父家康に請ふて先鋒たらんとして許されず、竟に其殿軍に加はりたり。然るに落城の時に際し、敵と刄を交ふるの機無かりしを悔い、頻に落淚に及びけるを、老臣あり、慰藉して、『今日御手に御あひなされず候とも、御急ぎなさるまじく候。御一代には、かやうの事幾度も御坐あるべく候』と諫めたれば、賴宣之を聞き、其老臣を一睨して、『我ら十三歳の時の、又た有るべき乎』と叱したりと傳ふ。

新字:少壮多く志を立てゝ郷関を出づるや名若し成らずんば、死すとも帰らじと誓ひ、大志の母多く、愛児の、若し錦衣故郷に還るにあらずんば、再び相見ゆるを欲せず。されば耻を遠ざけ、名を獲んが為に、士人の子弟は、心志を苦しめ、筋骨を労して、艱難の惨烈なるをも辞せざりき。而して少年の名誉は、年と共に漸く長ずるものなるを知りたり。大阪冬の陣の時、紀伊頼宣、今年十三歳なりけるが、父家康に請ふて先鋒たらんとして許されず、竟に其殿軍に加はりたり。然るに落城の時に際し、敵と刄を交ふるの機無かりしを悔い、頻に落涙に及びけるを、老臣あり、慰藉して、『今日御手に御あひなされず候とも、御急ぎなさるまじく候。御一代には、かやうの事幾度も御坐あるべく候』と諫めたれば、頼宣之を聞き、其老臣を一睨して、『我ら十三歳の時の、又た有るべき乎』と叱したりと伝ふ。

書き下し

少壮、多く志を立てて郷関を出づるや、名もし成らずんば、死すとも帰らじと誓ひ、大志の母多く、愛児の、もし錦衣故郷に還るにあらずんば、再び相見ゆるを欲せず。されば恥を遠ざけ、名を獲んが為に、士人の子弟は心志を苦しめ、筋骨を労して、艱難の惨烈なるをも辞せざりき。而して少年の名誉は、年と共にやうやく長ずるものなるを知りたり。大阪冬の陣の時、紀伊頼宣、今年十三歳なりけるが、父家康に請ふて先鋒たらんとして許されず、ついに其殿軍に加はりたり。然るに落城の時に際し、敵と刃を交ふるの機無かりしを悔い、しきりに落涙に及びけるを、老臣あり、慰藉して『今日、御手に御あひなされず候とも、御急ぎなさるまじく候。御一代には、かやうの事、幾度も御座あるべく候』と諫めたれば、頼宣、之を聞き、其老臣を一睨して『我ら十三歳の時の、又た有るべきか』と叱したりと伝ふ。

現代語訳

若者が多く志を立てて故郷を出るとき、名を成さなければ死んでも帰らないと誓い、大きな志を持つ母の多くは、愛する子が錦を着て故郷に帰るのでなければ再び会うことを望みませんでした。ですから恥を遠ざけ名を得るために、武士の子弟は心を苦しめ、体を酷使し、苦難の惨烈さも辞しませんでした。そして少年の名誉は年とともに次第に育つものだと知っていました。大坂冬の陣のとき、紀伊頼宣は十三歳でしたが、父の家康に願って先鋒になろうとして許されず、ついに殿軍に加わりました。ところが落城の際、敵と刃を交える機会がなかったのを悔いて、しきりに涙を流しました。老臣が慰めて、今日お手合わせがなかったとしても、お急ぎになるには及びません、御一代のうちにはこのようなことが何度もございましょう、と諫めたところ、頼宣はこれを聞いて老臣を睨みつけ、我らの十三歳のときが、また来るというのか、と叱ったと伝えられます。

解説

徳川頼宣の一喝がこの章の名場面です。機会はまた来る、と慰めた老臣に、十三歳の自分は二度と来ないと返す。同じ出来事でも、その年齢で迎えるのは一度きりだという時間の感覚です。功を焦る少年の未熟さと見ることもできますが、今この歳でしかできないことがあるという認識は、どの年齢の人にも当てはまります。名を得るための苦労を厭わない気風が、この逸話に凝縮されています。

この章句が説くこと

名誉機会年齢頼宣焦り

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