学問のすゝめ / 十七編・人望論・過ぎたるはなお及ばざるがごとし
或る人またいわく、「容貌を快くするとは表を飾ることなり。表を飾るをもって人間交際の要となすときは、ただに容貌顔色のみならず、衣服も飾り飲食も飾り、気に叶わぬ客をも招待して、身分不相応の馳走するなぞ、まったく虚飾をもって人に交わるの弊あらん」と。この言もまた一理あるがごとくなれども、虚飾は交際の弊にしてその本色にあらず。事物の弊害はややもすればその本色に反対するもの多し。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、すなわち弊害と本色と相反対するを評したる語なり。譬えば食物の要は身体を養うにありといえども、これを過食すればかえってその栄養を害するがごとし。栄養は食物の本色なり、過食はその弊害なり。弊害と本色と相反対するものと言うべし。
書き下し
或る人またいわく、「容貌を快くするとは表を飾ることなり。表を飾るをもって人間交際の要となすときは、ただに容貌顔色のみならず、衣服も飾り飲食も飾り、気に叶わぬ客をも招待して、身分不相応の馳走するなぞ、まったく虚飾をもって人に交わるの弊あらん」と。この言もまた一理あるがごとくなれども、虚飾は交際の弊にしてその本色にあらず。事物の弊害はややもすればその本色に反対するもの多し。「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、すなわち弊害と本色と相反対するを評したる語なり。譬えば食物の要は身体を養うにありといえども、これを過食すればかえってその栄養を害するがごとし。栄養は食物の本色なり、過食はその弊害なり。弊害と本色と相反対するものと言うべし。
現代語訳
ある人はまた言います。容貌を快くするとは表を飾ることだ。表を飾ることを人の交わりの要とするなら、ただ容貌や顔色だけでなく、衣服も飾り飲食も飾り、気に入らない客まで招待して身分不相応のもてなしをするなど、まったく虚飾で人と交わる弊害があるだろう、と。この言葉もまた一理あるようですが、虚飾は交わりの弊害であってその本来の姿ではありません。物事の弊害はともすればその本来の姿と正反対になるものが多い。過ぎたるはなお及ばざるがごとしとは、弊害と本来の姿が正反対になることを評した言葉です。たとえば食物の要は身体を養うことにありますが、これを食べ過ぎればかえって栄養を害するようなものです。栄養は食物の本来の姿であり、食べ過ぎはその弊害です。弊害と本来の姿は正反対になるものと言うべきです。
解説
この章句が説くこと
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老子 第9章持ちて之を盈たすは、其の已るに如かず。揣(き)りてその鋭を為すは、長く保つ可からず。金玉満堂、之を能く守る者莫し。富貴して驕れば、自ら其の咎を遺す。功を成して身を退く、天の道なり。
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人物志・八觀直の失や訐、剛の失や厲、和の失や懦、介の失や拘。
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『茶の本』第四章 茶室・装飾のために構造の美が犠牲にこれらの建物は十二世紀の間事実上そのまま保全せられていた。古い宮殿や寺の内部は、惜しげもなく装飾を施されていた。十世紀にできた宇治の鳳凰堂には、今もなお昔の壁画彫刻の遺物はもとより、丹精をこらした天蓋、金を蒔き鏡や真珠をちりばめた廟蓋を見ることができる。後になって、日光や京都二条の城においては、アラビア式またはムーア式華麗をつくした力作にも等しいような色彩の美や、精巧をきわめたたくさんの装飾のために、建築構造の美が犠牲にせられているのを見る。