茶の本 / 第四章 茶室・装飾のために構造の美が犠牲に
これらの建物は十二世紀の間事実上そのまま保全せられていた。古い宮殿や寺の内部は惜しげもなく装飾を施されていた。十世紀にできた宇治の鳳凰堂には今もなお昔の壁画彫刻の遺物はもとより、丹精をこらした天蓋、金を蒔き鏡や真珠をちりばめた廟蓋を見ることができる。後になって、日光や京都二条の城においては、アラビア式またはムーア式華麗をつくした力作にも等しいような色彩の美や精巧をきわめたたくさんの装飾のために、建築構造の美が犠牲にせられているのを見る。
書き下し
これらの建物は十二世紀の間事実上そのまま保全せられていた。古い宮殿や寺の内部は、惜しげもなく装飾を施されていた。十世紀にできた宇治の鳳凰堂には、今もなお昔の壁画彫刻の遺物はもとより、丹精をこらした天蓋、金を蒔き鏡や真珠をちりばめた廟蓋を見ることができる。後になって、日光や京都二条の城においては、アラビア式またはムーア式華麗をつくした力作にも等しいような色彩の美や、精巧をきわめたたくさんの装飾のために、建築構造の美が犠牲にせられているのを見る。
現代語訳
これらの建物は十二世紀の間、事実上そのまま保たれてきました。古い宮殿や寺の内部は惜しげもなく装飾が施されていました。十世紀にできた宇治の鳳凰堂には、今もなお昔の壁画や彫刻の遺物はもとより、丹精を込めた天蓋、金を蒔き鏡や真珠を散りばめた覆いを見ることができます。後になって、日光や京都の二条城では、アラビア式やムーア式の華麗を尽くした力作にも等しい色彩の美や、精巧を極めた多くの装飾のために、建築の構造の美が犠牲にされているのを見ます。
解説
装飾が構造を食う、という指摘です。日光東照宮や二条城を、華麗さの極みと認めながら、それによって建築としての美が損なわれていると言い切る。同時代の日本人の多くが誇りとしていたものへの、はっきりした批判です。飾りを足していけば必ずどこかで本体が見えなくなる。茶室が装飾を捨てた理由が、こうして自国の過剰の側からも説明されます。
この章句が説くこと
装飾過剰構造批判簡素
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