学問のすゝめ / 十七編・人望論・これを放却して上達するの理あるべからず
人あるいは言わん、「言語・容貌は人々の天性に存するものなれば勉めてこれを如何ともすべからず、これを論ずるも詰まるところは無益に属するのみ」と。この言あるいは是なるがごとくなれども、人智発育の理を考えなば、その当たらざるを知るべし。およそ人心の働き、これを進めて進まざるものあることなし。その趣は人身の手足を役してその筋を強くするに異ならず。されば言語・容貌も人の心身の働きなれば、これを放却して上達するの理あるべからず。しかるに古来日本国中の習慣において、この大切なる心身の働きを捨てて顧みる者なきは、大なる心得違いにあらずや。ゆえに余輩の望むところは、改めて今日より言語容貌の学問と言うにはあらざれども、この働きを人の徳義の一ヵ条として等閑にすることなく、常に心にとどめて忘れざらんことを欲するのみ。
書き下し
人あるいは言わん、「言語・容貌は人々の天性に存するものなれば勉めてこれを如何ともすべからず、これを論ずるも詰まるところは無益に属するのみ」と。この言あるいは是なるがごとくなれども、人智発育の理を考えなば、その当たらざるを知るべし。およそ人心の働き、これを進めて進まざるものあることなし。その趣は人身の手足を役してその筋を強くするに異ならず。されば言語・容貌も人の心身の働きなれば、これを放却して上達するの理あるべからず。しかるに古来日本国中の習慣において、この大切なる心身の働きを捨てて顧みる者なきは、大なる心得違いにあらずや。ゆえに余輩の望むところは、改めて今日より言語容貌の学問と言うにはあらざれども、この働きを人の徳義の一ヵ条として等閑にすることなく、常に心にとどめて忘れざらんことを欲するのみ。
現代語訳
人はあるいは言うでしょう。言葉や容貌は人それぞれの生まれつきにあるものだから、努めてもどうにもできない、これを論じても結局は無益に属するだけだ、と。この言葉は正しいようですが、人の智恵が育つ理を考えれば、当たっていないと分かるはずです。およそ人の心の働きで、これを進めて進まないものはありません。その趣は、人の手足を使ってその筋を強くするのと変わりません。ですから言葉や容貌も人の心身の働きですから、これを放っておいて上達する道理はありません。それなのに古来、日本国中の習慣においてこの大切な心身の働きを捨てて顧みる者がないのは、大きな心得違いではありませんか。ですから私の望むところは、改めて今日から言語容貌の学問と言うのではありませんが、この働きを人の徳義の一か条としておろそかにせず、常に心にとどめて忘れないようにしたいというだけです。
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