学問のすゝめ / 十七編・人望論・戸の入口に骸骨をぶら下げて
しかるに今、人に交わらんとして顔色を和するに意を用いざるのみならず、かえって偽君子を学んで、ことさらに渋き風を示すは、戸の入口に骸骨をぶら下げて、門の前に棺桶を安置するがごとし。誰かこれに近づく者あらんや。世界中にフランスを文明の源と言い、智識分布の中心と称するも、その由縁を尋ぬれば、国民の挙動常に活発気軽にして言語容貌ともに親しむべく近づくべきの気風あるをもって原因の一ヵ条となせり。
書き下し
しかるに今、人に交わらんとして顔色を和するに意を用いざるのみならず、かえって偽君子を学んで、ことさらに渋き風を示すは、戸の入口に骸骨をぶら下げて、門の前に棺桶を安置するがごとし。誰かこれに近づく者あらんや。世界中にフランスを文明の源と言い、智識分布の中心と称するも、その由縁を尋ぬれば、国民の挙動常に活発気軽にして言語容貌ともに親しむべく近づくべきの気風あるをもって原因の一ヵ条となせり。
現代語訳
ところが今、人と交わろうとしながら顔色を和らげることに意を用いないばかりか、かえって偽君子を真似て、わざと渋い風を示すのは、戸の入口に骸骨をぶら下げ、門の前に棺桶を安置するようなものです。誰がこれに近づく者がありましょうか。世界中でフランスを文明の源と言い、知識を広める中心と称するのも、その理由を尋ねれば、国民の振る舞いが常に活発で気軽であり、言葉も容貌もともに親しみやすく近づきやすい気風があることを原因の一つに数えています。
解説
渋い顔を作る態度が、強烈な絵で笑われます。入口に骸骨をぶら下げ門前に棺桶を置くようなものだ、と。近寄りがたさを演出するのは、自分から人を遠ざける行為にほかなりません。そしてフランスが引かれます。文明の中心とされる理由の一つが、国民の気軽さと親しみやすさだ、と。愛想のよさが文化の力になるという見方が示されています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
渋面拒絶骸骨気軽さ文化
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