学問のすゝめ / 十七編・人望論・ごろごろする団子のような玉
また今日不弁なる人の言を聞くに、その言葉の数はなはだ少なくしていかにも不自由なるがごとし。譬えば学校の教師が訳書の講義なぞするときに、「円き水晶の玉」とあれば、わかりきったることと思うゆえか、少しも弁解をなさず、ただむずかしき顔をして子供を睨みつけ、「円き水晶の玉」と言うばかりなれども、もしこの教師が言葉に富みて言い回しのよき人物にして、「円きとは角の取れて団子のようなということ、水晶とは山から掘り出すガラスのようなもので甲州なぞからいくらも出ます。この水晶でこしらえたごろごろする団子のような玉」と解き聞かせたらば、婦人にも子供にも腹の底からよくわかるべきはずなるに、用いて不自由なき言葉を用いずして不自由するは、畢竟演説を学ばざるの罪なり。
書き下し
また今日不弁なる人の言を聞くに、その言葉の数はなはだ少なくしていかにも不自由なるがごとし。譬えば学校の教師が訳書の講義なぞするときに、「円き水晶の玉」とあれば、わかりきったることと思うゆえか、少しも弁解をなさず、ただむずかしき顔をして子供を睨みつけ、「円き水晶の玉」と言うばかりなれども、もしこの教師が言葉に富みて言い回しのよき人物にして、「円きとは角の取れて団子のようなということ、水晶とは山から掘り出すガラスのようなもので甲州なぞからいくらも出ます。この水晶でこしらえたごろごろする団子のような玉」と解き聞かせたらば、婦人にも子供にも腹の底からよくわかるべきはずなるに、用いて不自由なき言葉を用いずして不自由するは、畢竟演説を学ばざるの罪なり。
現代語訳
また今日、話の下手な人の言葉を聞くと、その語彙が非常に少なくて、いかにも不自由なようです。たとえば学校の教師が訳書の講義などをするとき、円い水晶の玉とあれば、分かりきったことと思うからか、少しも説明をせず、ただ難しい顔をして子供を睨みつけ、円い水晶の玉と言うばかりです。しかしもしこの教師が言葉が豊かで言い回しのよい人物で、円いとは角が取れて団子のようなということ、水晶とは山から掘り出すガラスのようなもので甲州などからいくらも出ます、この水晶でこしらえたごろごろする団子のような玉、と解き聞かせたら、婦人にも子供にも腹の底からよく分かるはずなのに、使って不自由のない言葉を使わずに不自由するのは、結局、演説を学ばない罪です。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』十七編・人望論・これを放却して上達するの理あるべからず人あるいは言わん、「言語・容貌は人々の天性に存するものなれば勉めてこれを如何ともすべからず、これを論ずるも詰まるところは無益に属するのみ」と。この言あるいは是なるがごとくなれども、人智発育の理を考えなば、その当たらざるを知るべし。およそ人心の働き、これを進めて進まざるものあることなし。その趣は人身の手足を役してその筋を強くするに異ならず。されば言語・容貌も人の心身の働きなれば、これを放却して上達するの理あるべからず。しかるに古来日本国中の習慣において、この大切なる心身の働きを捨てて顧みる者なきは、大なる心得違いにあらずや。ゆえに余輩の望むところは、改めて今日より言語容貌の学問と言うにはあらざれども、この働きを人の徳義の一ヵ条として等閑にすることなく、常に心にとどめて忘れざらんことを欲するのみ。
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