学問のすゝめ / 十二編・演説の法を勧むるの説・口上をもって述ぶるの際におのずから味を生ず
演説をもって事を述ぶれば、その事柄の大切なると否とはしばらく擱き、ただ口上をもって述ぶるの際におのずから味を生ずるものなり。譬えば文章に記せばさまで意味なきことにても、言葉をもって述ぶればこれを了解すること易くして人を感ぜしむるものあり。古今に名高き名詩名歌というものもこの類にて、この詩歌を尋常の文に訳すれば絶えておもしろき味もなきがごとくなれども、詩歌の法に従いてその体裁を備うれば、限りなき風致を生じて衆心を感動せしむべし。ゆえに一人の意を衆人に伝うるの速やかなると否とは、そのこれを伝うる方法に関することはなはだ大なり。
書き下し
演説をもって事を述ぶれば、その事柄の大切なると否とはしばらく擱き、ただ口上をもって述ぶるの際におのずから味を生ずるものなり。譬えば文章に記せばさまで意味なきことにても、言葉をもって述ぶればこれを了解すること易くして人を感ぜしむるものあり。古今に名高き名詩名歌というものもこの類にて、この詩歌を尋常の文に訳すれば絶えておもしろき味もなきがごとくなれども、詩歌の法に従いてその体裁を備うれば、限りなき風致を生じて衆心を感動せしむべし。ゆえに一人の意を衆人に伝うるの速やかなると否とは、そのこれを伝うる方法に関することはなはだ大なり。
現代語訳
演説で事を述べれば、その事柄が大切かどうかはしばらく置いて、ただ口上で述べる際に自然と味わいが生じるものです。たとえば文章に記せばさほど意味のないことでも、言葉で述べれば理解しやすく、人を感じさせるものがあります。昔から名高い名詩名歌というものもこの類で、この詩歌を普通の文に訳せばまったく面白い味わいもないようですが、詩歌の法に従ってその体裁を備えれば、限りない趣を生じて多くの人の心を動かします。ですから一人の考えを多くの人に伝えるのが速いか遅いかは、それを伝える方法に関わることが非常に大きいのです。
解説
話すことの効果が説明されます。同じ内容でも、声で述べれば味わいが生じて人を動かす、と。裏づけに詩歌が持ち出されるのが巧みで、普通の文に直せば面白くない歌が、形式を備えると人の心を動かすことが例になっています。そして結論が実務的です。考えが伝わる速さは、伝え方に大きく左右される。内容さえ正しければ伝わるという思い込みへの反論になっています。
この章句が説くこと
口頭効果詩歌形式伝達
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