学問のすゝめ / 十七編・人望論・木の切れのごとき男を崇めて
孔子のいわく、「君子は人の己れを知らざるを憂えず、人を知らざるを憂う」と。この教えは当時世間に流行する弊害を矯めんとして述べたる言ならんといえども、後世無気無力の腐儒は、この言葉をまともに受けて、引込み思案にのみ心を凝らし、その悪弊ようやく増長して、ついには奇物変人、無言無情、笑うことも知らず、泣くことも知らざる木の切れのごとき男を崇めて奥ゆかしき先生なぞと称するに至りしは、人間世界の一奇談なり。今この陋しき習俗を脱して活発なる境界に入り、多くの事物に接し博く世人に交わり、人をも知り己れをも知られ、一身に持ち前正味の働きを逞しゅうして、自分のためにし、兼ねて世のためにせんとするには、
書き下し
孔子のいわく、「君子は人の己れを知らざるを憂えず、人を知らざるを憂う」と。この教えは当時世間に流行する弊害を矯めんとして述べたる言ならんといえども、後世無気無力の腐儒は、この言葉をまともに受けて、引込み思案にのみ心を凝らし、その悪弊ようやく増長して、ついには奇物変人、無言無情、笑うことも知らず、泣くことも知らざる木の切れのごとき男を崇めて奥ゆかしき先生なぞと称するに至りしは、人間世界の一奇談なり。今この陋しき習俗を脱して活発なる境界に入り、多くの事物に接し博く世人に交わり、人をも知り己れをも知られ、一身に持ち前正味の働きを逞しゅうして、自分のためにし、兼ねて世のためにせんとするには、
現代語訳
孔子は言いました。君子は人が自分を知らないことを憂えず、人を知らないことを憂える、と。この教えは当時世間に流行した弊害を正そうとして述べた言葉でしょうが、後世の気力のない腐った儒者は、この言葉をそのまま受け取って引っ込み思案にばかり心を凝らし、その悪い癖が次第に増長して、ついには奇人変人で、無言無情、笑うことも知らず泣くことも知らない木切れのような男を崇めて、奥ゆかしい先生などと称するに至ったのは、人間世界の一つの珍談です。今この狭苦しい習俗を脱して活発な境地に入り、多くの事物に接し広く世の人と交わり、人を知り自分も知られ、一身に持ち前の正味の働きを発揮して、自分のためにし、あわせて世のためにしようとするには、
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』十七編・人望論・藪医者が玄関を広大にして人望は智徳に属すること当然の道理にして、必ず然るべきはずなれども、天下古今の事実においてあるいはその反対を見ること少なからず。藪医者が玄関を広大にして盛んに流行し、売薬師が看板を金にして大いに売り弘め、山師の帳場に空虚なる金箱を据え、学者の書斎に読めぬ原書を飾り、人力車中に新聞紙を読みて宅に帰りて午睡を催す者あり、日曜日の午後に礼拝堂に泣きて月曜日の朝に夫婦喧嘩する者あり。滔々たる天下、真偽雑駁、善悪混同、いずれを是としいずれを非とすべきや。はなはだしきに至りては、人望の属するを見て、本人の不智不徳を卜すべき者なきにあらず。ここにおいてか、やや見識高き士君子は世間に栄誉を求めず、あるいはこれを浮世の虚名なりとして、ことさらに避くる者あるもまた無理ならぬことなり。士君子の心がけにおいて称すべき一ヵ条と言うべし。
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『学問のすゝめ』十七編・人望論・人の智徳はなお花樹のごとく然りといえども、およそ世の事物につきその極度の一方のみを論ずれば弊害あらざるものなし。かの士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称すべきに似たれども、そのこれを求むると求めざるとを決するの前に、まず栄誉の性質を詳らかにせざるべからず。その栄誉なるもの、はたして虚名の極度にして、医者の玄関、売薬の看板のごとくならば、もとよりこれを遠ざけ、これを避くべきは論を俟たずといえども、また一方より見れば社会の人事は悉皆虚をもって成るものにあらず。人の智徳はなお花樹のごとく、その栄誉人望はなお花のごとし。花樹を培養して花を開くに、なんぞことさらにこれを避くることをせんや。栄誉の性質を詳らかにせずして、概してこれを投棄せんとするは、花を払いて樹木の所在を隠すがごとし。これを隠してその功用を増すにあらず、あたかも活物を死用するに異ならず、世間のためを謀りて不便利の大なるものと言うべし。
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『五常訓』巻之五・智一子曰く、人の己を知らざるを患へず、人を知らざるを患ふ。君子の道は外に求めず、唯わが身に求む。故に人の我が善を知らざるは、人の不明なり。我が患にあらず。わが善を行ふは、もと我がなすべき所なり。人に知らせん為にあらず。たとへば飯をくらつて、我が腹にみちて、飢を助くれば、人の知らんことを求めざるが如し。人を知らざれば、人の善悪邪正をわきまへず。是わが不明なり。故に患ふべし。もし人を知らざれば、其人にあらざるを友として、身をうしなひ、邪人を用ひて、家をやぶり、人をそこなふ。或は善人をすてて用ひず。凡小人は、わが身を人の知らざるを患ひて、我が人を知らざるを患へず。すべてさかさまに工夫をなせり。
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『学問のすゝめ』十三編・怨望の人間に害あるを論ず・女子と小人とは近づけ難しこれによりて考うれば怨望は貧賤によりて生ずるものにあらず。ただ人類天然の働きを塞ぎて、禍福の来去みな偶然に係るべき地位においてはなはだしく流行するのみ。昔孔子が「女子と小人とは近づけ難し、さてさて困り入りたることかな」とて歎息したることあり。今をもって考うるに、これ夫子みずから事を起こしてみずからその弊害を述べたるものと言うべし。人の心の性は男子も女子も異なるの理なし。また小人とは下人と言うことならんか。下人の腹から出でたる者は必ず下人と定まりたるにあらず。下人も貴人も生まれ落ちたる時の性に異同あらざるはもとより論を俟たず。しかるにこの女子と下人とに限りて取扱いに困るとは何ゆえぞ。平生卑屈の旨をもってあまねく人民に教え、小弱なる婦人・下人の輩を束縛して、その働きに毫も自由を得せしめざるがために、ついに怨望の気風を醸成し、その極度に至りてさすがに孔子さまも歎息せられたることなり。
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『学問のすゝめ』十三編・怨望の人間に害あるを論ず・時代の考えを勘定のうちに入れて元来人の性情において働きに自由を得ざれば、その勢い必ず他を怨望せざるを得ず。因果応報の明らかなるは、麦を蒔きて麦の生ずるがごとし。聖人の名を得たる孔夫子がこの理を知らず、別に工夫もなくしていたずらに愚痴をこぼすとはあまりたのもしからぬ話なり。そもそも孔子の時代は明治を去ること二千有余年、野蛮草昧の世の中なれば、教えの趣意もその時代の風俗人情に従い、天下の人心を維持せんがためには、知りてことさらに束縛するの権道なかるべからず。もし孔子をして真の聖人ならしめ、万世の後を洞察するの明識あらしめなば、当時の権道をもって必ず心に慊しとしたることはなかるべし。ゆえに後世の孔子を学ぶ者は、時代の考えを勘定のうちに入れて取捨せざるべからず。二千年前に行なわれたる教えをそのままに、しき写しして明治年間に行なわんとする者は、ともに事物の相場を談ずべからざる人なり。
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『徂徠先生答問書』卷中惣て近年如何の儀に候哉かやうなる事はやり申候。下たる人にわが才智を誉られ徳行を誉られ度被存候事、上たるの位を失ひ候事に候。論語に人不知を不慍を君子に御座候も君子は上たる人の事に候。上たる人は只天を相手に仕候故、下に知られ度と存じ候心は無御座候。下たる人は上に知れず候へば、其位を得がたく、其道を行ひがたく候故、人に知らるゝ事を求め候事に候。古の人は其位なく共上たるの徳を備へぬれば人にしられず候共何とも不存候事なるを、其位を踏ながらみづからわれとあやまり候事、下に下知を聞れぬ本と可被成候。以上。