学問のすゝめ / 十三編・怨望の人間に害あるを論ず・時代の考えを勘定のうちに入れて
元来人の性情において働きに自由を得ざれば、その勢い必ず他を怨望せざるを得ず。因果応報の明らかなるは、麦を蒔きて麦の生ずるがごとし。聖人の名を得たる孔夫子がこの理を知らず、別に工夫もなくしていたずらに愚痴をこぼすとはあまりたのもしからぬ話なり。そもそも孔子の時代は明治を去ること二千有余年、野蛮草昧の世の中なれば、教えの趣意もその時代の風俗人情に従い、天下の人心を維持せんがためには、知りてことさらに束縛するの権道なかるべからず。もし孔子をして真の聖人ならしめ、万世の後を洞察するの明識あらしめなば、当時の権道をもって必ず心に慊しとしたることはなかるべし。ゆえに後世の孔子を学ぶ者は、時代の考えを勘定のうちに入れて取捨せざるべからず。二千年前に行なわれたる教えをそのままに、しき写しして明治年間に行なわんとする者は、ともに事物の相場を談ずべからざる人なり。
書き下し
元来人の性情において働きに自由を得ざれば、その勢い必ず他を怨望せざるを得ず。因果応報の明らかなるは、麦を蒔きて麦の生ずるがごとし。聖人の名を得たる孔夫子がこの理を知らず、別に工夫もなくしていたずらに愚痴をこぼすとはあまりたのもしからぬ話なり。そもそも孔子の時代は明治を去ること二千有余年、野蛮草昧の世の中なれば、教えの趣意もその時代の風俗人情に従い、天下の人心を維持せんがためには、知りてことさらに束縛するの権道なかるべからず。もし孔子をして真の聖人ならしめ、万世の後を洞察するの明識あらしめなば、当時の権道をもって必ず心に慊しとしたることはなかるべし。ゆえに後世の孔子を学ぶ者は、時代の考えを勘定のうちに入れて取捨せざるべからず。二千年前に行なわれたる教えをそのままに、しき写しして明治年間に行なわんとする者は、ともに事物の相場を談ずべからざる人なり。
現代語訳
もともと人の性情において働きに自由を得なければ、その勢いは必ず他を怨まずにいられません。因果応報の明らかなことは、麦を蒔いて麦が生えるようなものです。聖人の名を得た孔子がこの理を知らず、別に工夫もなくいたずらに愚痴をこぼすとは、あまり頼もしくない話です。そもそも孔子の時代は明治から二千年以上前の、まだ文明の開けない世の中ですから、教えの趣旨もその時代の風俗や人情に従い、天下の人心を保つためには、知っていてわざと束縛する方便がなくてはなりませんでした。もし孔子を真の聖人とし、万世の後を見通す明識があったとすれば、当時の方便を心から良しとしたことはないでしょう。ですから後世に孔子を学ぶ者は、時代の考えを計算に入れて取捨しなければなりません。二千年前に行われた教えをそのまま写し取って明治の世に行おうとする者は、ともに物事の相場を語れない人です。
解説
この章句が説くこと
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