学問のすゝめ / 十七編・人望論・人の智徳はなお花樹のごとく
然りといえども、およそ世の事物につきその極度の一方のみを論ずれば弊害あらざるものなし。かの士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称すべきに似たれども、そのこれを求むると求めざるとを決するの前に、まず栄誉の性質を詳らかにせざるべからず。その栄誉なるもの、はたして虚名の極度にして、医者の玄関、売薬の看板のごとくならば、もとよりこれを遠ざけ、これを避くべきは論を俟たずといえども、また一方より見れば社会の人事は悉皆虚をもって成るものにあらず。人の智徳はなお花樹のごとく、その栄誉人望はなお花のごとし。花樹を培養して花を開くに、なんぞことさらにこれを避くることをせんや。栄誉の性質を詳らかにせずして、概してこれを投棄せんとするは、花を払いて樹木の所在を隠すがごとし。これを隠してその功用を増すにあらず、あたかも活物を死用するに異ならず、世間のためを謀りて不便利の大なるものと言うべし。
書き下し
然りといえども、およそ世の事物につきその極度の一方のみを論ずれば弊害あらざるものなし。かの士君子が世間の栄誉を求めざるは大いに称すべきに似たれども、そのこれを求むると求めざるとを決するの前に、まず栄誉の性質を詳らかにせざるべからず。その栄誉なるもの、はたして虚名の極度にして、医者の玄関、売薬の看板のごとくならば、もとよりこれを遠ざけ、これを避くべきは論を俟たずといえども、また一方より見れば社会の人事は悉皆虚をもって成るものにあらず。人の智徳はなお花樹のごとく、その栄誉人望はなお花のごとし。花樹を培養して花を開くに、なんぞことさらにこれを避くることをせんや。栄誉の性質を詳らかにせずして、概してこれを投棄せんとするは、花を払いて樹木の所在を隠すがごとし。これを隠してその功用を増すにあらず、あたかも活物を死用するに異ならず、世間のためを謀りて不便利の大なるものと言うべし。
現代語訳
とはいえ、およそ世の事物についてその極端な一方だけを論じれば弊害のないものはありません。あの士たちが世間の名誉を求めないのは大いに称賛すべきに見えますが、それを求めるか求めないかを決める前に、まず名誉の性質を明らかにしなければなりません。その名誉が本当に虚名の極みで、医者の玄関や売薬の看板のようなものなら、もとよりこれを遠ざけ避けるべきは言うまでもありませんが、また一方から見れば、社会の人の事はすべてが虚偽で成り立っているのではありません。人の智恵と徳は花の咲く樹のようなもので、その名誉と人望は花のようなものです。花樹を育てて花を咲かせるのに、どうしてわざわざこれを避けることがありましょうか。名誉の性質を明らかにせずに、ひとまとめにこれを投げ捨てようとするのは、花を払って樹木の所在を隠すようなものです。これを隠してその働きが増すわけではなく、まるで生きた物を死んだように使うのと変わらず、世間のためを考えれば大きな不便と言うべきです。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』十七編・人望論・藪医者が玄関を広大にして人望は智徳に属すること当然の道理にして、必ず然るべきはずなれども、天下古今の事実においてあるいはその反対を見ること少なからず。藪医者が玄関を広大にして盛んに流行し、売薬師が看板を金にして大いに売り弘め、山師の帳場に空虚なる金箱を据え、学者の書斎に読めぬ原書を飾り、人力車中に新聞紙を読みて宅に帰りて午睡を催す者あり、日曜日の午後に礼拝堂に泣きて月曜日の朝に夫婦喧嘩する者あり。滔々たる天下、真偽雑駁、善悪混同、いずれを是としいずれを非とすべきや。はなはだしきに至りては、人望の属するを見て、本人の不智不徳を卜すべき者なきにあらず。ここにおいてか、やや見識高き士君子は世間に栄誉を求めず、あるいはこれを浮世の虚名なりとして、ことさらに避くる者あるもまた無理ならぬことなり。士君子の心がけにおいて称すべき一ヵ条と言うべし。
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『学問のすゝめ』十七編・人望論・一斗の米を一斗に計ることしからばすなわち栄誉人望はこれを求むべきものか。いわく、然り、勉めてこれを求めざるべからず。ただこれを求むるに当たりて分に適すること緊要なるのみ。心身の働きをもって世間の人望を収むるは、米を計りて人に渡すがごとし。升取りの巧みなる者は一斗の米を一斗三合に計り出し、その拙なる者は九升七合に計り込むことあり。余輩のいわゆる分に適するとは、計り出しもなくまた計り込みもなく、まさに一斗の米を一斗に計ることなり。升取りには巧拙あるも、これによりて生ずるところの差はわずかに内外の二、三分なれども、才徳の働きを升取りするに至りてはその差けっして三分にとどまるべからず、巧みなるは正味の二倍三倍にも計り出し、拙なるは半分にも計り込む者あらん。この計り出しの法外なる者は世間に法外なる妨げをなしてもとより悪むべきなれども、しばらくこれを擱き、今ここには正味の働きを計り込む人のために少しく論ずるところあらんとす。
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『学問のすゝめ』十七編・人望論・世人のこれを視ること乞食のごとくせざるは「十六貫目の力量ある者へ十六貫目の物を負わせ、千円の身代ある者へ千円の金を貸すべし」と言うときは、人望も栄名も無用に属し、ただ実物を当てにして事をなすべきようなれども、世の中の人事はかく簡易にして淡泊なるものにあらず、十貫目の力量なき者も坐して数百万貫の物を動かすべし、千円の身代なき者も数十万の金を運用すべし。試みに今、富豪の聞こえある商人の帳場に飛び込み、一時に諸帳面の精算をなさば、出入差引きして幾百幾千円の不足する者あらん。この不足はすなわち身代の零点より以下の不足なるゆえ、無一銭の乞食に劣ること幾百幾千なれども、世人のこれを視ること乞食のごとくせざるはなんぞや。他なし、この商人に人望あればなり。されば人望はもとより力量によりて得べきものにあらず、また身代の富豪なるのみによりて得べきものにもあらず、ただその人の活発なる才智の働きと正直なる本心の徳義とをもってしだいに積んで得べきものなり。
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『学問のすゝめ』十七編・人望論・木の切れのごとき男を崇めて孔子のいわく、「君子は人の己れを知らざるを憂えず、人を知らざるを憂う」と。この教えは当時世間に流行する弊害を矯めんとして述べたる言ならんといえども、後世無気無力の腐儒は、この言葉をまともに受けて、引込み思案にのみ心を凝らし、その悪弊ようやく増長して、ついには奇物変人、無言無情、笑うことも知らず、泣くことも知らざる木の切れのごとき男を崇めて奥ゆかしき先生なぞと称するに至りしは、人間世界の一奇談なり。今この陋しき習俗を脱して活発なる境界に入り、多くの事物に接し博く世人に交わり、人をも知り己れをも知られ、一身に持ち前正味の働きを逞しゅうして、自分のためにし、兼ねて世のためにせんとするには、
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