学問のすゝめ / 十七編・人望論・一斗の米を一斗に計ること
しからばすなわち栄誉人望はこれを求むべきものか。いわく、然り、勉めてこれを求めざるべからず。ただこれを求むるに当たりて分に適すること緊要なるのみ。心身の働きをもって世間の人望を収むるは、米を計りて人に渡すがごとし。升取りの巧みなる者は一斗の米を一斗三合に計り出し、その拙なる者は九升七合に計り込むことあり。余輩のいわゆる分に適するとは、計り出しもなくまた計り込みもなく、まさに一斗の米を一斗に計ることなり。升取りには巧拙あるも、これによりて生ずるところの差はわずかに内外の二、三分なれども、才徳の働きを升取りするに至りてはその差けっして三分にとどまるべからず、巧みなるは正味の二倍三倍にも計り出し、拙なるは半分にも計り込む者あらん。この計り出しの法外なる者は世間に法外なる妨げをなしてもとより悪むべきなれども、しばらくこれを擱き、今ここには正味の働きを計り込む人のために少しく論ずるところあらんとす。
書き下し
しからばすなわち栄誉人望はこれを求むべきものか。いわく、然り、勉めてこれを求めざるべからず。ただこれを求むるに当たりて分に適すること緊要なるのみ。心身の働きをもって世間の人望を収むるは、米を計りて人に渡すがごとし。升取りの巧みなる者は一斗の米を一斗三合に計り出し、その拙なる者は九升七合に計り込むことあり。余輩のいわゆる分に適するとは、計り出しもなくまた計り込みもなく、まさに一斗の米を一斗に計ることなり。升取りには巧拙あるも、これによりて生ずるところの差はわずかに内外の二、三分なれども、才徳の働きを升取りするに至りてはその差けっして三分にとどまるべからず、巧みなるは正味の二倍三倍にも計り出し、拙なるは半分にも計り込む者あらん。この計り出しの法外なる者は世間に法外なる妨げをなしてもとより悪むべきなれども、しばらくこれを擱き、今ここには正味の働きを計り込む人のために少しく論ずるところあらんとす。
現代語訳
ではそうであれば、名誉と人望は求めるべきものでしょうか。答えます。その通り、努めてこれを求めねばなりません。ただこれを求めるにあたって、分に適うことが大切なだけです。心身の働きによって世間の人望を集めるのは、米を量って人に渡すようなものです。升の扱いが巧みな者は一斗の米を一斗三合に量り出し、拙い者は九升七合に量り込むことがあります。私の言う分に適うとは、量り出しもなく量り込みもなく、まさに一斗の米を一斗に量ることです。升の扱いには巧拙があっても、それによって生じる差はわずか二、三分ですが、才と徳の働きを量るに至ってはその差は決して三分にとどまらず、巧みな者は正味の二倍三倍にも量り出し、拙い者は半分にも量り込む者があるでしょう。この法外に量り出す者は世間に法外な妨げをなすのでもとより憎むべきですが、しばらくこれは置いて、ここでは正味の働きを量り込む人のために少し論じようと思います。
解説
この章句が説くこと
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説苑・善說齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」
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論語・子張篇子游曰く、吾が友張や、能くし難きことを為すなり。然れども未だ仁ならず。
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史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
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