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学問のすゝめ / 十七編・人望論・世人のこれを視ること乞食のごとくせざるは

「十六貫目の力量ある者へ十六貫目の物を負わせ、千円の身代ある者へ千円の金を貸すべし」と言うときは、人望も栄名も無用に属し、ただ実物を当てにして事をなすべきようなれども、世の中の人事はかく簡易にして淡泊なるものにあらず、十貫目の力量なき者も坐して数百万貫の物を動かすべし、千円の身代なき者も数十万の金を運用すべし。試みに今、富豪の聞こえある商人の帳場に飛び込み、一時に諸帳面の精算をなさば、出入差引きして幾百幾千円の不足する者あらん。この不足はすなわち身代の零点より以下の不足なるゆえ、無一銭の乞食に劣ること幾百幾千なれども、世人のこれを視ること乞食のごとくせざるはなんぞや。他なし、この商人に人望あればなり。されば人望はもとより力量によりて得べきものにあらず、また身代の富豪なるのみによりて得べきものにもあらず、ただその人の活発なる才智の働きと正直なる本心の徳義とをもってしだいに積んで得べきものなり。

書き下し

「十六貫目の力量ある者へ十六貫目の物を負わせ、千円の身代ある者へ千円の金を貸すべし」と言うときは、人望も栄名も無用に属し、ただ実物を当てにして事をなすべきようなれども、世の中の人事はかく簡易にして淡泊なるものにあらず、十貫目の力量なき者も坐して数百万貫の物を動かすべし、千円の身代なき者も数十万の金を運用すべし。試みに今、富豪の聞こえある商人の帳場に飛び込み、一時に諸帳面の精算をなさば、出入差引きして幾百幾千円の不足する者あらん。この不足はすなわち身代の零点より以下の不足なるゆえ、無一銭の乞食に劣ること幾百幾千なれども、世人のこれを視ること乞食のごとくせざるはなんぞや。他なし、この商人に人望あればなり。されば人望はもとより力量によりて得べきものにあらず、また身代の富豪なるのみによりて得べきものにもあらず、ただその人の活発なる才智の働きと正直なる本心の徳義とをもってしだいに積んで得べきものなり。

現代語訳

十六貫目の力量がある者に十六貫目の物を負わせ、千円の財産がある者に千円の金を貸すべきだ、と言うなら、人望も名誉も無用のものとなり、ただ実物を当てにして事をなすべきようですが、世の中の人の事はそんなに単純で淡泊なものではありません。十貫目の力量がない者も座ったまま数百万貫の物を動かすことができ、千円の財産がない者も数十万の金を運用できます。試みに今、富豪と評判の商人の帳場に飛び込んで、一度にすべての帳面を精算すれば、差し引きして幾百幾千円が不足する者もあるでしょう。この不足は財産の零よりも下の不足ですから、無一銭の乞食に劣ること幾百幾千ですが、世の人がこれを乞食のように見ないのはなぜでしょうか。ほかでもない、この商人に人望があるからです。ですから人望はもとより力量によって得られるものではなく、また財産が豊かなだけで得られるものでもなく、ただその人の活発な才智の働きと正直な本心の徳義とをもって、次第に積んで得られるものなのです。

解説

人望の正体が、信用取引の例で説明されます。帳簿を締めれば債務超過の商人が、乞食とは見られず取引を続けられるのは人望があるからだ、と。今なら信用という言葉で呼ばれるものです。そして人望の源が二つに定められます。活発な才智の働きと、正直な本心の徳義。能力と誠実の両方を、時間をかけて積むほかないという結論になっています。

この章句が説くこと

信用超過才智徳義蓄積

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