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学問のすゝめ / 十六編・心事と働きと相当すべきの論・議論とは心に思うところを言に発し

議論と実業と両ながらそのよろしきを得ざるべからずとのことは、あまねく人の言うところなれども、この言うところなるものもまたただ議論となるのみにして、これを実地に行なう者はなはだ少なし。そもそも議論とは、心に思うところを言に発し、書に記すものなり。あるいはいまだ言と書に発せざれば、これをその人の心事と言い、またはその人の志と言う。ゆえに議論は外物に縁なきものと言うも可なり。畢竟内に存するものなり、自由なるものなり、制限なきものなり。実業とは心に思うところを外に顕わし、外物に接して処置を施すことなり。ゆえに実業には必ず制限なきを得ず、外物に制せられて自由なるを得ざるものなり、古人がこの両様を区別するには、あるいは言と行と言い、あるいは志と功と言えり。また今日俗間にて言うところの説と働きなるものも、すなわちこれなり。

書き下し

議論と実業と両ながらそのよろしきを得ざるべからずとのことは、あまねく人の言うところなれども、この言うところなるものもまたただ議論となるのみにして、これを実地に行なう者はなはだ少なし。そもそも議論とは、心に思うところを言に発し、書に記すものなり。あるいはいまだ言と書に発せざれば、これをその人の心事と言い、またはその人の志と言う。ゆえに議論は外物に縁なきものと言うも可なり。畢竟内に存するものなり、自由なるものなり、制限なきものなり。実業とは心に思うところを外に顕わし、外物に接して処置を施すことなり。ゆえに実業には必ず制限なきを得ず、外物に制せられて自由なるを得ざるものなり、古人がこの両様を区別するには、あるいは言と行と言い、あるいは志と功と言えり。また今日俗間にて言うところの説と働きなるものも、すなわちこれなり。

現代語訳

議論と実業の両方がよろしきを得なければならないということは広く人の言うところですが、この言うところもまた議論になるだけで、これを実地に行う者は非常に少ない。そもそも議論とは、心に思うところを言葉に発し、書物に記すものです。あるいはまだ言葉や書物に発していなければ、これをその人の心事と言い、またはその人の志と言います。ですから議論は外の物に縁がないものと言ってもよい。結局は内にあるもの、自由なもの、制限のないものです。実業とは心に思うところを外に現し、外の物に接して処置を施すことです。ですから実業には必ず制限がないわけにいかず、外の物に制せられて自由ではありません。古人がこの二つを区別するには、言と行と言い、あるいは志と功と言いました。また今日、世間で言う説と働きというものも、これです。

解説

十六編の後半が始まり、議論と実業が定義されます。議論は内にあって自由で制限がなく、実業は外の物に接するから必ず制限を受ける。この非対称が鍵です。頭の中では何でも言えるが、やってみれば条件に縛られる。言と行、志と功、説と働きという既存の言い換えも並べられ、昔から同じことが問題にされてきたと示されます。

この章句が説くこと

議論実業自由制限非対称

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