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学問のすゝめ / 十五編・事物を疑いて取捨を断ずること・一身あたかも空虚なるがごとくにして

しからばすなわち今の改革者流が日本の旧習を厭うて西洋の事物を信ずるは、まったく軽信軽疑の譏を免るべきものと言うべからず。いわゆる旧を信ずるの信をもって新を信じ、西洋の文明を慕うのあまりに兼ねてその顰蹙朝寝の癖をも学ぶものと言うべし。なおはなはだしきはいまだ新の信ずべきものを探り得ずして早くすでに旧物を放却し、一身あたかも空虚なるがごとくにして安心立命の地位を失い、これがためついには発狂する者あるに至れり。憐れむべきにあらずや〔医師の話を聞くに、近来は神経病および発狂の病人多しという〕。

書き下し

しからばすなわち今の改革者流が日本の旧習を厭うて西洋の事物を信ずるは、まったく軽信軽疑の譏を免るべきものと言うべからず。いわゆる旧を信ずるの信をもって新を信じ、西洋の文明を慕うのあまりに兼ねてその顰蹙朝寝の癖をも学ぶものと言うべし。なおはなはだしきはいまだ新の信ずべきものを探り得ずして早くすでに旧物を放却し、一身あたかも空虚なるがごとくにして安心立命の地位を失い、これがためついには発狂する者あるに至れり。憐れむべきにあらずや〔医師の話を聞くに、近来は神経病および発狂の病人多しという〕。

現代語訳

であれば、今の改革者流が日本の旧習を嫌って西洋の事物を信じるのは、まったく軽々しく信じ軽々しく疑うという譏りを免れるものではありません。いわゆる旧を信じる信のままで新を信じ、西洋の文明を慕うあまりに、その顔をしかめる癖や朝寝の癖まで学ぶものと言うべきです。なお甚だしきは、まだ新しく信じるべきものを探し当てないうちに早くも古いものを投げ捨て、一身がまるで空っぽのようになって安心して立つ場所を失い、そのためについには発狂する者があるに至りました。憐れむべきではありませんか。医師の話を聞くと、近ごろは神経の病や発狂の病人が多いといいます。

解説

思考実験の結果が現実に戻されます。改革者たちの疑いは吟味されたものではなく、信じる先を移しただけだ、と。西施の顰みと学者の朝寝の比喩がここで回収されます。そして最も重い指摘が続きます。新しい拠り所を得ないまま古いものを捨て、心が空っぽになって病む人が出ている、と。医師の話という註まで添えられ、急激な価値の転換が人に何をもたらすかが記録されています。

この章句が説くこと

転換空虚拠り所代償

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