学問のすゝめ / 十五編・事物を疑いて取捨を断ずること・百疑並び生じてほとんど暗中に物を探るがごとし
されば今の日本に行なわるるところの事物は、はたして今のごとくにしてその当を得たるものか、商売会社の法、今のごとくにして可ならんか、政府の体裁、今のごとくにして可ならんか、教育の制、今のごとくにして可ならんか、著書の風、今のごとくにして可ならんか、しかのみならず、現に余輩学問の法も今日の路に従いて可ならんか、これを思えば百疑並び生じてほとんど暗中に物を探るがごとし。この雑沓混乱の最中にいて、よく東西の事物を比較し、信ずべきを信じ、疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨つべきを捨て、信疑取捨そのよろしきを得んとするはまた難きにあらずや。
書き下し
されば今の日本に行なわるるところの事物は、はたして今のごとくにしてその当を得たるものか、商売会社の法、今のごとくにして可ならんか、政府の体裁、今のごとくにして可ならんか、教育の制、今のごとくにして可ならんか、著書の風、今のごとくにして可ならんか、しかのみならず、現に余輩学問の法も今日の路に従いて可ならんか、これを思えば百疑並び生じてほとんど暗中に物を探るがごとし。この雑沓混乱の最中にいて、よく東西の事物を比較し、信ずべきを信じ、疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨つべきを捨て、信疑取捨そのよろしきを得んとするはまた難きにあらずや。
現代語訳
では今の日本で行われている事物は、果たして今の形で適切なのでしょうか。商売会社の法は今の形でよいのでしょうか。政府の体裁は今の形でよいのでしょうか。教育の制度は今の形でよいのでしょうか。著述の風は今の形でよいのでしょうか。それだけでなく、現に私たちの学問の方法も今日の道筋でよいのでしょうか。これを思えば百の疑いが並び生じて、ほとんど暗闇の中で物を探るようです。この雑然と混乱した最中にいて、よく東西の事物を比較し、信じるべきを信じ、疑うべきを疑い、取るべきを取り、捨てるべきを捨て、信疑と取捨が適切であるようにするのは、また難しいことではありませんか。
解説
疑いの矛先が自分たちに戻ります。会社の法も政府の体裁も教育も著述も、そして自分の学問の方法さえ、今のままでよいのかと問われます。百の疑いが並び生じて暗闇で物を探るようだ、という正直な述懐が印象的です。答えを持っている者として語らず、同じ混乱の中にいる者として語ることで、次の段の呼びかけに実感がこもります。
この章句が説くこと
自問制度暗中混乱正直
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