学問のすゝめ / 十四編・世話の字の義・甲は不孝にして乙は不慈なり
譬えば父母の指図を聴かざる道楽息子へみだりに銭を与えて、その遊冶放蕩を逞しゅうせしむるは、保護の世話は行き届きて指図の世話は行なわれざるものなり。子供は謹慎勉強して父母の命に従うといえども、この子供に衣食をも十分に給せずして無学文盲の苦界に陥らしむるは、指図の世話のみをなして保護の世話を怠るものなり。甲は不孝にして乙は不慈なり。ともにこれを人間の悪事と言うべし。
書き下し
譬えば父母の指図を聴かざる道楽息子へみだりに銭を与えて、その遊冶放蕩を逞しゅうせしむるは、保護の世話は行き届きて指図の世話は行なわれざるものなり。子供は謹慎勉強して父母の命に従うといえども、この子供に衣食をも十分に給せずして無学文盲の苦界に陥らしむるは、指図の世話のみをなして保護の世話を怠るものなり。甲は不孝にして乙は不慈なり。ともにこれを人間の悪事と言うべし。
現代語訳
たとえば父母の指図を聞かない道楽息子にむやみに銭を与えて、その放蕩を思うままにさせるのは、保護の世話は行き届いて指図の世話が行われないものです。子供が謹慎して勉強し父母の命に従っているのに、この子供に衣食を十分に与えず、無学のまま苦しい境遇に陥らせるのは、指図の世話だけをして保護の世話を怠るものです。前者は不孝であり、後者は不慈です。ともにこれを人の悪事と言うべきです。
解説
釣り合いが崩れる二つの型が示されます。指図が通らないのに金だけ出す親と、従っている子に衣食を与えない親。前者は子を不孝にし、後者は親が不慈になる、と結果まで名づけられます。どちらか一方だけの世話は悪事だ、という断定が強く、甘やかしと放置が同じ原則の裏表として扱われているのが分かりやすい整理になっています。
この章句が説くこと
偏り甘やかし放置不孝不慈
関連する章句
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『学問のすゝめ』十四編・世話の字の義・保護と指図と両様の義を備えて右のごとく世話の字に、保護と指図と両様の義を備えて人の世話をするときは、真によき世話にて世の中は円く治まるべし。譬えば父母の子供におけるがごとく、衣食を与えて保護の世話をすれば、子供は父母の言うことを聞きて指図を受け、親子の間柄に不都合あることなし。また政府にては法律を設けて、国民の生命と面目と私有とを大切に取り扱い、一般の安全を謀りて保護の世話をなし、人民は政府の命令に従いて指図の世話に戻ることあらざれば、公私の間円く治まるべし。
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『学問のすゝめ』十四編・世話の字の義・保護の至るところはすなわち指図の及ぶところゆえに保護と指図とは両ながらその至るところをともにし、寸分も境界を誤るべからず。保護の至るところはすなわち指図の及ぶところなり。指図の及ぶところは必ず保護の至るところならざるを得ず。もし然らずしてこの二者の至り及ぶところの度を誤り、わずかに齟齬することあれば、たちまち不都合を生じて禍の原因となるべし。世間にその例少なからず。けだしその所以は、世の人々常に世話の字の義を誤りて、あるいは保護の意味に解し、あるいは指図の意味に解し、ただ一方にのみ偏して文字のまったき義を尽くすことなく、もって大なる間違いに及びたるなり。
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『学問のすゝめ』十四編・世話の字の義・諺にいわゆる大きにお世話また昔かたぎに、田舎の老人が旧き本家の系図を持ち出して別家の内を掻きまわし、あるいは銭もなき叔父さまが実家の姪を呼びつけてその家事を指図し、その薄情を責めその不行届きを咎め、はなはだしきに至りては、知らぬ祖父の遺言などとて姪の家の私有を奪い去らんとするがごときは、指図の世話は厚きに過ぎて保護の世話の痕跡もなきものなり。諺にいわゆる「大きにお世話」とはこのことなり。
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『学問のすゝめ』十四編・世話の字の義・世話の字に二つの意味あり世話の字に二つの意味あり、一は「保護」の義なり、一は「命令」の義なり。保護とは人の事につき、傍より番をして防ぎ護り、あるいはこれに財物を与え、あるいはこれがために時を費やし、その人をして利益をも面目をも失わしめざるように世話をすることなり。命令とは人のために考えて、その人の身に便利ならんと思うことを指図し、不便利ならんと思うことには意見を加え、心の丈を尽くして忠告することにて、これまた世話の義なり。
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『学問のすゝめ』八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・なんの鉄面皮あればこの破廉恥に至るやしかるに世間の父母たる者、よく子を生めども子を教うるの道を知らず、身は放蕩無頼を事として子弟に悪例を示し、家を汚し産を破りて貧困に陥り、気力ようやく衰えて家産すでに尽くるに至れば放蕩変じて頑愚となり、すなわちその子に向かいて孝行を責むるとは、はたしてなんの心ぞや。なんの鉄面皮あればこの破廉恥のはなはだしきに至るや。父は子の財を貪らんとし、姑は嫁の心を悩ましめ、父母の心をもって子供夫婦の身を制し、父母の不理屈は尤もにして子供の申し分は少しも立たず、嫁はあたかも餓鬼の地獄に落ちたるがごとく、起居眠食、自由なるものなし。一も舅姑の意に戻ればすなわちこれを不孝者と称し、世間の人もこれを見て心に無理とは思いながら、己が身に引き受けざることなればまず親の不理屈に左袒して理不尽にその子を咎むるか、あるいは通人の説に従えば、理非を分かたず親を欺けとて偽計を授くる者あり。
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『学問のすゝめ』十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・飯と着物はあたかも天より降り来たるがごとく譬えば十歳前後の子供を取り扱うには、もとよりその了簡を出ださしむべきにあらず、たいてい両親の見計らいにて衣食を与え、子供はただ親の言に戻らずしてその指図にさえ従えば、寒き時にはちょうど綿入れの用意あり、腹のへる時にはすでに飯の支度ととのい、飯と着物はあたかも天より降り来たるがごとく、わが思う時刻にその物を得て、何一つの不自由なく安心して家に居るべし。両親は己が身にも易えられぬ愛子なれば、これを教え、これを諭し、これを誉むるも、これを叱るも、みな真の愛情より出でざるはなく、親子の間一体のごとくして、その快きこと譬えん方なし。すなわちこれ親子の交際にして、その際には上下の名分も立ち、かつて差しつかえあることなし。