学問のすゝめ / 十三編・怨望の人間に害あるを論ず・ただ朝夕の臨機応変にて主人の寵愛を
また近く一例を挙げて示さんに、怨望の流行して交際を害したるものは、わが封建の時代に沢山なる大名の御殿女中をもって最とす。そもそも御殿の大略を言えば、無識無学の婦女子群居して無智無徳の一主人に仕え、勉強をもって賞せらるるにあらず、懶惰によりて罰せらるるにあらず、諫めて叱らるることもあり、諫めずして叱らるることもあり、言うも善し言わざるも善し、詐るも悪し詐らざるも悪し、ただ朝夕の臨機応変にて主人の寵愛を僥倖するのみ。
書き下し
また近く一例を挙げて示さんに、怨望の流行して交際を害したるものは、わが封建の時代に沢山なる大名の御殿女中をもって最とす。そもそも御殿の大略を言えば、無識無学の婦女子群居して無智無徳の一主人に仕え、勉強をもって賞せらるるにあらず、懶惰によりて罰せらるるにあらず、諫めて叱らるることもあり、諫めずして叱らるることもあり、言うも善し言わざるも善し、詐るも悪し詐らざるも悪し、ただ朝夕の臨機応変にて主人の寵愛を僥倖するのみ。
現代語訳
また近い例を挙げて示せば、怨望が流行して交わりを害したものは、わが封建の時代の多くの大名の御殿女中を第一とします。そもそも御殿の大略を言えば、学識のない婦女子が群れ住んで、智恵も徳もない一人の主人に仕え、勉強したから賞されるのでもなく、怠けたから罰されるのでもない。諫めて叱られることもあり、諫めずに叱られることもあり、言うのもよく言わないのもよく、偽るのも悪く偽らないのも悪い。ただ朝夕の臨機応変で主人の寵愛を当てにするだけです。
解説
怨望が最も濃く育つ場として、大名家の奥向きが挙げられます。描写の力点は評価の不在にあります。勉強しても賞されず、怠けても罰されない。諫めても諫めなくても叱られる。何をすれば良いのかが定まらず、残るのは主人の気分だけです。努力と結果のつながりが切れた場所が、怨望の温床になるという構図が、次の段でさらに突き詰められます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
御殿評価不在寵愛温床
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