顔氏家訓 / 勉學
孔子曰:「學也禄在其中矣。」今勤無益之事、恐非業也。夫聖人之書、所以設教、但明練經文、粗通注義、常使言行有得、亦足為人、何必「仲尼居」即須兩紙疏義、燕寢講堂、亦復何在?以此得勝、寧有益乎?光陰可惜、譬諸逝水。當博覽機要、以濟功業、必能兼美、吾無閒焉。
新字:孔子曰:「学也禄在其中矣。」今勤無益之事、恐非業也。夫聖人之書、所以設教、但明練経文、粗通注義、常使言行有得、亦足為人、何必「仲尼居」即須両紙疏義、燕寝講堂、亦復何在?以此得勝、寧有益乎?光陰可惜、譬諸逝水。当博覧機要、以済功業、必能兼美、吾無閒焉。
書き下し
孔子曰く、「学べば禄其の中に在り」と。今益無きの事に勤むるは、恐らくは業に非ざるなり。夫れ聖人の書は、教えを設くる所以なり。但だ経文を明練し、粗ぼ注義に通じ、常に言行をして得る有らしめば、亦た人と為るに足る。何ぞ必ずしも「仲尼居」に即ち両紙の疏義を須ち、燕寝講堂も、亦復た何くに在らんや。此を以て勝を得るも、寧んぞ益有らんや。光陰は惜しむべし。諸を逝水に譬う。当に博く機要を覧て、以て功業を済すべし。必ず能く美を兼ねば、吾は間する無し。
現代語訳
孔子は言った。「学べば俸禄はその中にある」。今、益のないことに励むのは、おそらく本業ではない。聖人の書は、教えを立てるためのものである。ただ経文をしっかり読み習い、おおよそ注の意味に通じて、常に言葉と行いに得るところがあれば、それで人として十分である。どうして「仲尼居」という三字に紙二枚分の注釈が必要だろうか。それが宮殿の寝所なのか講堂なのかを詮索して、何になるのか。それで議論に勝ったところで、何の益があろうか。時間は惜しむべきものである。過ぎゆく水にたとえられる。広く要点を見渡して、功業を成し遂げるべきである。必ず両方を兼ね備えられるというなら、私に異存はない。
解説
学問の深さと、投じる時間の釣り合いを論じた一段です。「仲尼居」——『孝経』の冒頭三字に、紙二枚分の注釈を書く。そこが寝所か講堂かを詮索する。そういう議論に勝っても何の益もない、と切り捨てます。基準は「常に言行をして得る有らしむ」——言葉と行いに得るものがあるかどうか。そして時間の有限性を持ち出します。「光陰は惜しむべし。諸を逝水に譬う」。深く掘ることそのものは悪くない。しかし時間は限られているので、どこまで掘るかを選ばねばならない。両方できるなら止めない、という留保も付いています。
この章句が説くこと
学べば禄其の中に在り仲尼居に両紙の疏義を須つ光陰惜しむべし逝水に譬う深さと時間学問君子
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