学問のすゝめ / 十三編・怨望の人間に害あるを論ず・怨望はあたかも衆悪の母のごとく
或る人いわく、「欺詐虚言の悪事も、その実質において悪なるものなれば、これを怨望に比していずれか軽重の別あるべからず」と。答えていわく、「まことに然るがごとしといえども、事の原因と事の結果とを区別すれば、おのずから軽重の別なしと言うべからず。欺詐虚言はもとより大悪事たりといえども、必ずしも怨望を生ずるの原因にはあらずして、多くは怨望によりて生じたる結果なり。怨望はあたかも衆悪の母のごとく、人間の悪事これによりて生ずべからざるものなし。疑猜、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、みな怨望より生ずるものにて、その内形に見わるるところは、私語、密話、内談、秘計、その外形に破裂するところは、徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫も国に益すことなくして、禍の全国に波及するに至りては主客ともに免るることを得ず。いわゆる公利の費をもって私を逞しゅうするものと言うべし」
書き下し
或る人いわく、「欺詐虚言の悪事も、その実質において悪なるものなれば、これを怨望に比していずれか軽重の別あるべからず」と。答えていわく、「まことに然るがごとしといえども、事の原因と事の結果とを区別すれば、おのずから軽重の別なしと言うべからず。欺詐虚言はもとより大悪事たりといえども、必ずしも怨望を生ずるの原因にはあらずして、多くは怨望によりて生じたる結果なり。怨望はあたかも衆悪の母のごとく、人間の悪事これによりて生ずべからざるものなし。疑猜、嫉妬、恐怖、卑怯の類は、みな怨望より生ずるものにて、その内形に見わるるところは、私語、密話、内談、秘計、その外形に破裂するところは、徒党、暗殺、一揆、内乱、秋毫も国に益すことなくして、禍の全国に波及するに至りては主客ともに免るることを得ず。いわゆる公利の費をもって私を逞しゅうするものと言うべし」
現代語訳
ある人は言います。欺きや虚言の悪事も、その実質において悪であるから、これを怨望と比べてどちらが重いという区別はないはずだ、と。答えて言います。まことにそのようですが、事の原因と事の結果とを区別すれば、自然と軽重の別がないとは言えません。欺きや虚言はもとより大きな悪事ですが、必ずしも怨望を生む原因ではなく、多くは怨望によって生じた結果です。怨望はまるで多くの悪の母のようで、人の悪事でこれから生じないものはありません。疑い、嫉妬、恐怖、卑怯の類はみな怨望から生じるもので、その内に現れるところは私語、密話、内談、秘計、その外に破裂するところは徒党、暗殺、一揆、内乱で、少しも国に益することなく、災いが全国に及ぶに至っては、加害者も被害者もともに免れることができません。いわゆる公の利益を費やして私を満たすものと言うべきです。
解説

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