学問のすゝめ / 十二編・人の品行は高尚ならざるべからざるの論・微妙なる理を談ずるのみにて高尚なるべきにあらず
前条に「方今わが国においてもっとも憂うべきは人民の見識いまだ高尚ならざるの一事なり」と言えり。人の見識品行は、微妙なる理を談ずるのみにて高尚なるべきにあらず。禅家に悟道などの事ありて、その理すこぶる玄妙なる由なれども、その僧侶の所業を見れば、迂遠にして用に適せず、事実においては漠然としてなんらの見識もなき者に等し。
書き下し
前条に「方今わが国においてもっとも憂うべきは人民の見識いまだ高尚ならざるの一事なり」と言えり。人の見識品行は、微妙なる理を談ずるのみにて高尚なるべきにあらず。禅家に悟道などの事ありて、その理すこぶる玄妙なる由なれども、その僧侶の所業を見れば、迂遠にして用に適せず、事実においては漠然としてなんらの見識もなき者に等し。
現代語訳
前条で、今わが国において最も憂うべきは人民の見識がまだ高尚でないという一事だ、と言いました。人の見識や品行は、微妙な理を談じるだけで高尚になるものではありません。禅家に悟道などのことがあって、その理はすこぶる奥深いそうですが、その僧侶の行いを見れば、回りくどくて役に立たず、事実においては漠然として何の見識もない者と変わりません。
解説
高尚とは何かを定義する作業が始まり、まず二つの誤解が退けられます。一つ目は、深遠な理屈を語れば高尚だという考えです。禅の悟りが例に挙げられ、理は奥深くとも行いが役に立たないなら見識がないのと同じだと言われます。言葉の深さではなく行いで測る、という基準がここで立てられ、次の段で二つ目の誤解に移っていきます。
この章句が説くこと
高尚定義玄理実行基準
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