学問のすゝめ / 十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・この牧の字は獣類を養うの義なれば
アジヤ諸国においては、国君のことを民の父母と言い、人民のことを臣子または赤子と言い、政府の仕事を牧民の職と唱えて、支那には地方官のことを何州の牧と名づけたることあり。この牧の字は獣類を養うの義なれば、一州の人民を牛羊のごとくに取り扱うつもりにて、その名目を公然と看板に掛けたるものなり。あまり失礼なる仕方にはあらずや。
書き下し
アジヤ諸国においては、国君のことを民の父母と言い、人民のことを臣子または赤子と言い、政府の仕事を牧民の職と唱えて、支那には地方官のことを何州の牧と名づけたることあり。この牧の字は獣類を養うの義なれば、一州の人民を牛羊のごとくに取り扱うつもりにて、その名目を公然と看板に掛けたるものなり。あまり失礼なる仕方にはあらずや。
現代語訳
アジア諸国では、国君のことを民の父母と言い、人民のことを臣子または赤子と言い、政府の仕事を牧民の職と称して、中国では地方官のことを何州の牧と名づけたことがあります。この牧の字は獣類を養うという意味ですから、一州の人民を牛や羊のように取り扱うつもりで、その名目を公然と看板に掛けたものです。あまりに失礼なやり方ではありませんか。
解説
言葉の中に隠れた関係が暴かれます。民の父母、赤子、牧民という言い慣れた語を並べ、牧の字が獣を養う意味だと指摘する。そこから、人民を牛羊として扱う意図が看板に書いてあることになる、と結びます。批判の道具が語源であるのが特徴で、普段疑わずに使っている言葉が、どんな関係を前提にしているかを見せる手際が鮮やかです。

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語源牧民赤子暴露言葉
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