学問のすゝめ / 十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・願うべくして行なわれ難きもの
世の名分を主張する人はこの親子の交際をそのまま人間の交際に写し取らんとする考えにて、ずいぶん面白き工夫のようなれども、ここに大なる差しつかえあり。親子の交際はただ智力の熟したる実の父母と十歳ばかりの実の子供との間に行なわるべきのみ。他人の子供に対してはもとより叶い難し。たとい実の子供にても、もはや二十歳以上に至ればしだいにその趣を改めざるを得ず。いわんや年すでに長じて大人となりたる他人と他人との間においてをや。とてもこの流儀にて交際の行なわるべき理なし。いわゆる願うべくして行なわれ難きものとはこのことなり。
書き下し
世の名分を主張する人はこの親子の交際をそのまま人間の交際に写し取らんとする考えにて、ずいぶん面白き工夫のようなれども、ここに大なる差しつかえあり。親子の交際はただ智力の熟したる実の父母と十歳ばかりの実の子供との間に行なわるべきのみ。他人の子供に対してはもとより叶い難し。たとい実の子供にても、もはや二十歳以上に至ればしだいにその趣を改めざるを得ず。いわんや年すでに長じて大人となりたる他人と他人との間においてをや。とてもこの流儀にて交際の行なわるべき理なし。いわゆる願うべくして行なわれ難きものとはこのことなり。
現代語訳
世の名分を主張する人は、この親子の交わりをそのまま人の交わりに写し取ろうという考えで、ずいぶん面白い工夫のようですが、ここに大きな差し支えがあります。親子の交わりは、ただ知力の熟した実の父母と十歳ばかりの実の子供との間にだけ行われるものです。他人の子供に対してはもとより叶いがたい。たとえ実の子供でも、もはや二十歳以上になれば次第にその趣を改めざるを得ません。まして年が長じて大人となった他人と他人との間ではなおさらです。とてもこの流儀で交わりが行われる道理はありません。いわゆる願わしくはあるが行いがたいもの、とはこのことです。
解説
成立条件が三つの段階で外されていきます。他人の子には無理、実の子でも二十歳を過ぎれば無理、まして大人同士の他人では話にならない。順に条件を剥がして、家庭の外に持ち出せないことを示す手際です。そして総括が置かれます。願わしくはあるが行いがたいもの、と。理想として否定するのではなく、適用範囲を誤っていると言うところに、この批判の正確さがあります。
この章句が説くこと
適用範囲成人他人誤用
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『学問のすゝめ』十一編・名分をもって偽君子を生ずるの論・飯と着物はあたかも天より降り来たるがごとく譬えば十歳前後の子供を取り扱うには、もとよりその了簡を出ださしむべきにあらず、たいてい両親の見計らいにて衣食を与え、子供はただ親の言に戻らずしてその指図にさえ従えば、寒き時にはちょうど綿入れの用意あり、腹のへる時にはすでに飯の支度ととのい、飯と着物はあたかも天より降り来たるがごとく、わが思う時刻にその物を得て、何一つの不自由なく安心して家に居るべし。両親は己が身にも易えられぬ愛子なれば、これを教え、これを諭し、これを誉むるも、これを叱るも、みな真の愛情より出でざるはなく、親子の間一体のごとくして、その快きこと譬えん方なし。すなわちこれ親子の交際にして、その際には上下の名分も立ち、かつて差しつかえあることなし。
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