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学問のすゝめ / 九編・すなわちこれ挽碓なり

開闢のはじめには人智いまだ開けず。その有様を形容すれば、あたかも初生の小児にいまだ智識の発生を見ざるもののごとし。譬えば麦を作りてこれを粉にするには、天然の石と石とをもってこれを搗き砕きしことならん。その後或る人の工夫にて二つの石を円く平たき形に作り、その中心に小さき孔を掘りて、一つの石の孔に木か金の心棒をさし、この石を下に据えてその上に一つの石を重ね、下の石の心棒を上の石の孔にはめ、この石と石との間に麦を入れて上の石を回し、その石の重さにて麦を粉にする趣向を設けたることならん。すなわちこれ挽碓なり。古はこの挽碓を人の手にて回すことなりしが、後世に至りては碓の形をもしだいに改め、あるいはこれを水車、風車に仕掛け、あるいは蒸気の力を用うることとなりて、しだいに便利を増したるなり。

書き下し

開闢のはじめには人智いまだ開けず。その有様を形容すれば、あたかも初生の小児にいまだ智識の発生を見ざるもののごとし。譬えば麦を作りてこれを粉にするには、天然の石と石とをもってこれを搗き砕きしことならん。その後或る人の工夫にて二つの石を円く平たき形に作り、その中心に小さき孔を掘りて、一つの石の孔に木か金の心棒をさし、この石を下に据えてその上に一つの石を重ね、下の石の心棒を上の石の孔にはめ、この石と石との間に麦を入れて上の石を回し、その石の重さにて麦を粉にする趣向を設けたることならん。すなわちこれ挽碓なり。古はこの挽碓を人の手にて回すことなりしが、後世に至りては碓の形をもしだいに改め、あるいはこれを水車、風車に仕掛け、あるいは蒸気の力を用うることとなりて、しだいに便利を増したるなり。

現代語訳

天地開闢のはじめには人の智恵はまだ開けていませんでした。そのありさまをたとえれば、まるで生まれたばかりの子でまだ知識の芽生えを見ないようなものです。たとえば麦を作ってこれを粉にするには、自然の石と石でこれを搗き砕いたことでしょう。その後ある人の工夫で二つの石を丸く平たい形に作り、その中心に小さな穴を掘って、一つの石の穴に木か金の心棒を挿し、この石を下に据えてその上にもう一つの石を重ね、下の石の心棒を上の石の穴にはめ、この石と石の間に麦を入れて上の石を回し、その石の重さで麦を粉にする工夫を設けたのでしょう。すなわちこれが臼です。昔はこの臼を人の手で回していましたが、後の世に至っては臼の形も次第に改まり、これを水車や風車に仕掛け、あるいは蒸気の力を用いることになって、次第に便利を増したのです。

解説

文明の遺産が、臼という一つの道具の歴史で説明されます。石で搗くところから、丸い石を重ねて回す工夫へ、そして水車、風車、蒸気へ。構造の説明が妙に丁寧で、心棒と穴のはめ方まで書かれています。誰か一人の発明ではなく、少しずつの改良が積み重なったことが、この丁寧さから伝わります。抽象的な進歩という言葉を、手で触れられる物の変化として示した一段です。

この章句が説くこと

改良積重技術歴史

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