淮南子 / 道應訓
武王問太公曰:「寡人伐紂天下,是臣殺其主而下伐其上也。吾恐後世之用兵不休,鬥爭不已,爲之奈何?」太公曰:「甚善,王之問也!夫未得獸者,唯恐其創之小也;已得之,唯恐傷肉之多也。王若欲久持之,則塞民於兌,道全爲無用之事,煩擾之教,彼皆樂其業,供其情,昭昭而道冥冥,於是乃去其瞀而載之木,解其劍而帶之笏。爲之三年之喪,令類不蕃,髙辭卑讓,使民不爭。酒肉以通之,竽瑟以娯之,鬼神以畏之,繁文滋禮以弇其質,厚葬久喪以亶其家,含珠鱗、施綸組以貧其財,深鑿髙壟以盡其力,家貧族少,慮患者貧,以此移風,可以持天下弗失。」故老子曰:「化而欲作,吾將鎭之以無名之樸也。」
新字:武王問太公曰:「寡人伐紂天下,是臣殺其主而下伐其上也。吾恐後世之用兵不休,鬥争不已,為之奈何?」太公曰:「甚善,王之問也!夫未得獣者,唯恐其創之小也;已得之,唯恐傷肉之多也。王若欲久持之,則塞民於兌,道全為無用之事,煩擾之教,彼皆楽其業,供其情,昭昭而道冥冥,於是乃去其瞀而載之木,解其剣而帯之笏。為之三年之喪,令類不蕃,高辞卑譲,使民不争。酒肉以通之,竽瑟以娯之,鬼神以畏之,繁文滋礼以弇其質,厚葬久喪以亶其家,含珠鱗、施綸組以貧其財,深鑿高壟以尽其力,家貧族少,慮患者貧,以此移風,可以持天下弗失。」故老子曰:「化而欲作,吾将鎮之以無名之樸也。」
書き下し
武王 太公に問いて曰く、「寡人 紂を伐ちて天下す。是れ臣にして其の主を殺し、下にして其の上を伐つなり。吾 後世の用兵 休まず、鬥爭 已まざるを恐る。之を爲すこと奈何」と。太公曰く、「甚だ善し、王の問いや。夫れ未だ獸を得ざる者は、唯だ其の創の小なるを恐る。已に之を得れば、唯だ肉を傷むるの多きを恐る。王 若し久しく之を持せんと欲せば、則ち民を兌に塞ぎ、道 全く無用の事、煩擾の教を爲さば、彼 皆な其の業を樂しみ、其の情に供し、昭昭として冥冥に道かん。是に於いて乃ち其の瞀を去りて之に木を載せ、其の劍を解きて之に笏を帶びしむ。之が爲に三年の喪あり、類をして蕃らざらしめ、髙辭卑讓、民をして爭わざらしむ。酒肉以て之を通じ、竽瑟以て之を娯しませ、鬼神以て之を畏れしめ、繁文滋禮以て其の質を弇い、厚葬久喪以て其の家を亶くし、含珠鱗・施綸組以て其の財を貧しくし、深く鑿ち髙く壟して以て其の力を盡くさしむ。家 貧しく族 少なく、患を慮る者 貧しからん。此を以て風を移さば、以て天下を持して失わざる可し」と。故に老子曰く、「化して作らんと欲すれば、吾 將に之を鎭むるに無名の樸を以てせんとす」と。
現代語訳
武王が太公に問うた、「私は紂を討って天下を得た。これは臣が主を殺し、下が上を討ったということだ。私は後の世で戦がやまず、争いが絶えなくなるのを恐れる。どうすればよいか」。太公は言った、「たいへんよい問いです。まだ獣を仕留めていない者は、傷が小さすぎることばかりを恐れます。仕留めてしまえば、肉が傷みすぎることばかりを恐れます。王が長くこれを保ちたいなら、民の欲の出口を塞ぎ、道を無用の事、煩わしい教えでいっぱいにすれば、みなその仕事を楽しみ、その情を満たし、明るいところを行きながら暗いところへ導かれます。そこで兜を脱がせて木の冠を載せ、剣を解かせて笏を帯びさせる。三年の喪を設けて一族が増えないようにし、へりくだった言葉づかいで民が争わないようにする。酒と肉で行き来させ、笛と瑟で楽しませ、鬼神で畏れさせ、繁雑な礼で素朴さを覆い、厚い葬りと長い喪で家財を尽くさせ、玉や飾りや組み紐で財を貧しくし、深く掘り高く盛らせて力を尽くさせる。家は貧しく一族は少なく、患いを考える者も貧しくなる。これで風俗を変えれば、天下を保って失わずにいられます」。だから老子は言った、「変化して何かをしようとするなら、私はそれを名のない素朴さで鎮めよう」。
解説
この章句が説くこと
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孫子・謀攻篇孫子曰く、凡そ兵を用うるの法は、国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。軍を全うするを上と為し、軍を破るは之に次ぐ。旅を全うするを上と為し、旅を破るは之に次ぐ。卒を全うするを上と為し、卒を破るは之に次ぐ。伍を全うするを上と為し、伍を破るは之に次ぐ。
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孟子・離婁章句下曾子、武城に居る。越の寇有り。或ひと曰く、「寇至る、盍ぞ諸を去らざるや。」曰く、「人を我が室に寓し、其の薪木を毀傷すること無かれ。」寇退けば、則ち曰く、「我が牆屋を修めよ。我將に反らんとす。」寇退き、曾子反る。左右曰く、「先生を待つこと、此の如く其れ忠にして且つ敬なり。寇至れば、則ち先づ去りて以て民の望みを為し、寇退けば則ち反る。不可なるに殆(ちかい)し。」沈猶行曰く、「是れ汝の知る所に非ざるなり。昔、沈猶、負芻の禍い有り。先生に従う者七十人、未だ與ること有らず。」子思、衛に居る。齊の寇有り。或ひと曰く、「寇至る。盍そ諸を去らざるや。」子思曰く、「如し伋去らば、君誰と與にか守らん。」孟子曰く、「曾子・子思は道を同じくす。曾子は師なり、父兄也なり。子思は臣なり、微なり。曾子・子思、地を易うれば則ち皆然り。」
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