学問のすゝめ / 八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・腕の力を本にして男女上下の名分を立てたる
仏書に罪業深き女人ということあり。実にこの有様を見れば、女は生まれながら大罪を犯したる科人に異ならず。また一方より婦人を責むることはなはだしく、『女大学』に婦人の七去とて、「淫乱なれば去る」と明らかにその裁判を記せり。男子のためには大いに便利なり。あまり片落ちなる教えならずや。畢竟、男子は強く婦人は弱しというところより、腕の力を本にして男女上下の名分を立てたる教えなるべし。
書き下し
仏書に罪業深き女人ということあり。実にこの有様を見れば、女は生まれながら大罪を犯したる科人に異ならず。また一方より婦人を責むることはなはだしく、『女大学』に婦人の七去とて、「淫乱なれば去る」と明らかにその裁判を記せり。男子のためには大いに便利なり。あまり片落ちなる教えならずや。畢竟、男子は強く婦人は弱しというところより、腕の力を本にして男女上下の名分を立てたる教えなるべし。
現代語訳
仏書に罪業の深い女人ということがあります。実にこのありさまを見れば、女は生まれながら大罪を犯した科人と変わりません。また一方から婦人を責めることが甚だしく、『女大学』に婦人の七去といって、淫乱なら去る、とはっきりその裁きを記しています。男子のためには大いに便利です。あまりに片手落ちな教えではありませんか。結局、男は強く婦人は弱いというところから、腕の力を根本にして男女上下の名分を立てた教えなのでしょう。
解説
批判が結論に達します。夫の不品行には逃げ道がないのに、妻の不品行には去るという裁きがはっきり書いてある。男子のためには大いに便利だ、という皮肉が効いています。そして根っこが名指しされます。この教えは腕の力を根本にして作られている、と。道徳の顔をした規範の背後に力関係があるという指摘で、八編の主題である名分批判がここで最も明確な形をとります。
この章句が説くこと
片手落七去腕力名分批判
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