学問のすゝめ / 八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・その身はあたかも他人の魂を止むる旅宿
人の身と心とはまったくその居処を別にして、その身はあたかも他人の魂を止むる旅宿のごとし。下戸の身に上戸の魂を入れ、子供の身に老人の魂を止め、盗賊の魂は孔夫子の身を借用し、猟師の魂は釈迦の身に旅宿し、下戸が酒を酌んで愉快を尽くせば、上戸は砂糖湯を飲んで満足を唱え、老人が樹に攀じて戯るれば、子供は杖をついて人の世話をやき、孔夫子が門人を率いて賊をなせば、釈迦如来は鉄砲を携えて殺生に行くならん。奇なり、妙なり、また不可思議なり。
書き下し
人の身と心とはまったくその居処を別にして、その身はあたかも他人の魂を止むる旅宿のごとし。下戸の身に上戸の魂を入れ、子供の身に老人の魂を止め、盗賊の魂は孔夫子の身を借用し、猟師の魂は釈迦の身に旅宿し、下戸が酒を酌んで愉快を尽くせば、上戸は砂糖湯を飲んで満足を唱え、老人が樹に攀じて戯るれば、子供は杖をついて人の世話をやき、孔夫子が門人を率いて賊をなせば、釈迦如来は鉄砲を携えて殺生に行くならん。奇なり、妙なり、また不可思議なり。
現代語訳
人の身と心とはまったく居場所を別にして、その身はまるで他人の魂を泊める旅の宿のようなものです。下戸の身に上戸の魂を入れ、子供の身に老人の魂を止め、盗賊の魂は孔子の身を借り、猟師の魂は釈迦の身に宿ります。すると下戸が酒を酌んで愉快を尽くせば、上戸は砂糖湯を飲んで満足を唱え、老人が木によじ登って戯れれば、子供は杖をついて人の世話を焼き、孔子が門人を率いて盗賊を働けば、釈迦如来は鉄砲を携えて殺生に行くでしょう。奇なり、妙なり、また不可思議なり。
解説
前段の背理法が、さらに滑稽な絵に展開されます。他人の心が自分の身を動かすなら、体は他人の魂を泊める宿にすぎません。下戸が酒を飲み上戸が砂糖湯を飲み、老人が木に登り子供が杖をつく。孔子が盗みを働き釈迦が鉄砲を持つに至って、ばかばかしさが頂点に達します。奇なり妙なり不可思議なり、という三語の締めが軽やかで、笑いによって反対説を葬っています。
この章句が説くこと
旅宿倒錯滑稽背理自分
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