学問のすゝめ / 八編・わが心をもって他人の身を制すべからず・傍よりかれこれとこれを議論するの理なし
右の次第により、人たる者は他人の権義を妨げざれば、自由自在に己が身体を用うるの理あり。その好むところに行き、その欲するところに止まり、あるいは働き、あるいは遊び、あるいはこの事を行ない、あるいはかの業をなし、あるいは昼夜勉強するも、あるいは意に叶わざれば無為にして終日寝るも、他人に関係なきことなれば、傍よりかれこれとこれを議論するの理なし。
書き下し
右の次第により、人たる者は他人の権義を妨げざれば、自由自在に己が身体を用うるの理あり。その好むところに行き、その欲するところに止まり、あるいは働き、あるいは遊び、あるいはこの事を行ない、あるいはかの業をなし、あるいは昼夜勉強するも、あるいは意に叶わざれば無為にして終日寝るも、他人に関係なきことなれば、傍よりかれこれとこれを議論するの理なし。
現代語訳
右の次第によって、人たる者は他人の権利を妨げなければ、自由自在に自分の身体を用いる道理があります。好むところに行き、欲するところに止まり、働くのも遊ぶのも、この事を行うのもあの業をなすのも、昼夜勉強するのも、あるいは気が向かなければ何もせず終日寝るのも、他人に関係のないことですから、傍からあれこれ議論する道理はありません。
解説
前段の原則が、日常の場面に落とされます。他人の権利を妨げない限り、行くも止まるも働くも遊ぶも自由だ、と。終日寝ていてもよい、とわざわざ書いているのが効いています。勤勉を説いてきた本が、怠けることも他人の容喙を許さない領域だと認めているのです。自由の範囲を都合よく縮めない姿勢が現れており、八編の題である他人の身を制するな、という主張の土台になっています。
この章句が説くこと
自由私事不干渉範囲容喙
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