学問のすゝめ / 七編・国民の職分を論ず・彼我同等の大義に従うべし
第一 客の身分をもって論ずれば、一国の人民は国法を重んじ人間同等の趣意を忘るべからず。他人の来たりてわが権義を害するを欲せざれば、われもまた他人の権義を妨ぐべからず。わが楽しむところのものは他人もまたこれを楽しむがゆえに、他人の楽しみを奪いてわが楽しみを増すべからず、他人の物を盗んでわが富となすべからず、人を殺すべからず、人を讒すべからず、まさしく国法を守りて彼我同等の大義に従うべし。また国の政体によりて定まりし法は、たといあるいは愚かなるも、あるいは不便なるも、みだりにこれを破るの理なし。師を起こすも外国と条約を結ぶも政府の権にあることにて、この権はもと約束にて人民より政府へ与えたるものなれば、政府の政に関係なき者はけっしてそのことを評議すべからず。
書き下し
第一 客の身分をもって論ずれば、一国の人民は国法を重んじ人間同等の趣意を忘るべからず。他人の来たりてわが権義を害するを欲せざれば、われもまた他人の権義を妨ぐべからず。わが楽しむところのものは他人もまたこれを楽しむがゆえに、他人の楽しみを奪いてわが楽しみを増すべからず、他人の物を盗んでわが富となすべからず、人を殺すべからず、人を讒すべからず、まさしく国法を守りて彼我同等の大義に従うべし。また国の政体によりて定まりし法は、たといあるいは愚かなるも、あるいは不便なるも、みだりにこれを破るの理なし。師を起こすも外国と条約を結ぶも政府の権にあることにて、この権はもと約束にて人民より政府へ与えたるものなれば、政府の政に関係なき者はけっしてそのことを評議すべからず。
現代語訳
第一に、客の身分で論じれば、一国の人民は国法を重んじ、人間が同等であるという趣旨を忘れてはなりません。他人がやってきて自分の権利を害するのを望まないなら、自分もまた他人の権利を妨げてはならない。自分が楽しむものは他人もまた楽しむのですから、他人の楽しみを奪って自分の楽しみを増してはならず、他人の物を盗んで自分の富としてはならず、人を殺してはならず、人を陥れてはならない。まさしく国法を守って、彼我同等の大義に従うべきです。また国の政体によって定まった法は、たとえ愚かであっても、不便であっても、みだりにこれを破る道理はありません。軍を起こすのも外国と条約を結ぶのも政府の権限にあることで、この権限はもともと約束によって人民から政府へ与えたものですから、政府の政治に関係のない者は決してそのことを評議してはなりません。
解説
この章句が説くこと
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『学問のすゝめ』七編・国民の職分を論ず・一国はなお商社のごとく第六編に国法の貴きを論じ、「国民たる者は一人にて二人前の役目を勤むるものなり」と言えり。今またこの役目職分の事につき、なおその詳らかなるを説きて六編の補遺となすこと左のごとし。およそ国民たる者は一人の身にして二ヵ条の勤めあり。その一の勤めは政府の下に立つ一人の民たるところにてこれを論ず、すなわち客のつもりなり。その二の勤めは国中の人民申し合わせて、一国と名づくる会社を結び、社の法を立ててこれを施し行なうことなり、すなわち主人のつもりなり。譬えばここに百人の町人ありてなんとかいう商社を結び、社中相談のうえにて社の法を立て、これを施し行なうところを見れば、百人の人はその商社の主人なり。すでにこの法を定めて、社中の人いずれもこれに従い違背せざるところを見れば、百人の人は商社の客なり。ゆえに一国はなお商社のごとく、人民はなお社中の人のごとく、一人にて主客二様の職を勤むべき者なり。
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『学問のすゝめ』七編・国民の職分を論ず・その償金の出ずるところはかならず人民右の次第をもって、政府たるものは人民の委任を引き受け、その約束に従いて一国の人をして貴賤上下の別なくいずれもその権義を逞しゅうせしめざるべからず、法を正しゅうし罰を厳にして一点の私曲あるべからず。今ここに一群の賊徒来たりて人の家に乱入するとき、政府これを見てこれを制すること能わざれば政府もその賊の徒党と言いて可なり。政府もし国法の趣意を達すること能わずして人民に損亡を蒙らしむることあらば、その高の多少を論ぜずその事の新旧を問わず、必ずこれを償わざるべからず。譬えば役人の不行届きにて国内の人か、または外国人へ損亡をかけ、三万円の償金を払うことあらん。政府にはもとより金のあるべき理なければ、その償金の出ずるところはかならず人民なり。
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『学問のすゝめ』七編・国民の職分を論ず・人民の分としてなすべき挙動はただ三ヵ条右のごとく人民も政府もおのおのその分限を尽くして互いに居り合うときは申し分もなきことなれども、あるいは然らずして政府なるものその分限を越えて暴政を行なうことあり。ここに至りて人民の分としてなすべき挙動はただ三ヵ条あるのみ。すなわち節を屈して政府に従うか、力をもって政府に敵対するか、正理を守りて身を棄つるか、この三ヵ条なり。
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・双方その職分を尽くしてこれすなわち政府と人民との約束なり。ゆえに百姓・町人は年貢・運上を出だして固く国法を守れば、その職分を尽くしたりと言うべし。政府は年貢・運上を取りて正しくその使い払いを立て、人民を保護すれば、その職分を尽くしたりと言うべし。双方すでにその職分を尽くして約束を違うることなきうえは、さらになんらの申し分もあるべからず、おのおのその権理通義を逞しゅうして、少しも妨げをなすの理なし。
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『学問のすゝめ』六編・国法の貴きを論ず・一人にて二人前の役目を勤むるがごとしたとい、あるいはその手当てをなすも莫大の入費にて益もなきことなるゆえ、右のごとく国民の総代として政府を立て、善人保護の職分を勤めしめ、その代わりとして役人の給料はもちろん、政府の諸入用をば悉皆国民より賄うべしと約束せしことなり。かつまた政府はすでに国民の総名代となりて事をなすべき権を得たるものなれば、政府のなすことはすなわち国民のなすことにて、国民は必ず政府の法に従わざるべからず。これまた国民と政府との約束なり。ゆえに国民の政府に従うは政府の作りし法に従うにあらず、みずから作りし法に従うなり。国民の法を破るは政府の作りし法を破るにあらず、みずから作りし法を破るなり。その法を破りて刑罰を被るは政府に罰せらるるにあらず、みずから定めし法によりて罰せらるるなり。この趣を形容して言えば、国民たる者は一人にて二人前の役目を勤むるがごとし。すなわちその一の役目は、自分の名代として政府を立て、一国中の悪人を取り押えて善人を保護することなり。その二の役目は、固く政府の約束を守りその法に従いて保護を受くることなり。
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『学問のすゝめ』二編・人は同等なること・ひとたび国法と定まりたることは右は百姓・町人に左袒して思うさまに勢いを張れという議論なれども、また一方より言えば別に論ずることあり。およそ人を取り扱うには、その相手の人物次第にて、おのずからその法の加減もなかるべからず。元来、人民と政府との間柄は、もと同一体にてその職分を区別し、政府は人民の名代となりて法を施し、人民は必ずこの法を守るべしと、固く約束したるものなり。譬えば今、日本国中にて明治の年号を奉ずる者は、今の政府の法に従うべしと条約を結びたる人民なり。ゆえにひとたび国法と定まりたることは、たといあるいは人民一個のために不便利あるも、その改革まではこれを動かすを得ず。小心翼々謹みて守らざるべからず。これすなわち人民の職分なり。