学問のすゝめ / 六編・国法の貴きを論ず・免状を所持せざるにつき
近くは先月わが慶応義塾にも一事あり。華族太田資美君、一昨年より私金を投じて米国人を雇い、義塾の教員に供えしが、このたび交代の期限に至り、他の米人を雇い入れんとして、当人との内談すでに整いしにつき、太田氏より東京府へ書面を出だしこの米人を義塾に入れて文学・科学の教師に供えんとの趣を出願せしところ、文部省の規則に、「私金をもって私塾の教師を雇い、私に人を教育するものにても、その教師なる者、本国にて学科卒業の免状を得てこれを所持するものにあらざれば雇入れを許さず」との箇条あり。しかるにこのたび雇い入れんとする米人、かの免状を所持せざるにつき、ただ語学の教師とあればともかくもなれども、文学・科学の教師としては願いの趣、聞き届け難き旨、東京府より太田氏へ御沙汰なり。
書き下し
近くは先月わが慶応義塾にも一事あり。華族太田資美君、一昨年より私金を投じて米国人を雇い、義塾の教員に供えしが、このたび交代の期限に至り、他の米人を雇い入れんとして、当人との内談すでに整いしにつき、太田氏より東京府へ書面を出だしこの米人を義塾に入れて文学・科学の教師に供えんとの趣を出願せしところ、文部省の規則に、「私金をもって私塾の教師を雇い、私に人を教育するものにても、その教師なる者、本国にて学科卒業の免状を得てこれを所持するものにあらざれば雇入れを許さず」との箇条あり。しかるにこのたび雇い入れんとする米人、かの免状を所持せざるにつき、ただ語学の教師とあればともかくもなれども、文学・科学の教師としては願いの趣、聞き届け難き旨、東京府より太田氏へ御沙汰なり。
現代語訳
近くは先月、わが慶応義塾にも一件がありました。華族の太田資美君が、一昨年より私費を投じてアメリカ人を雇い、義塾の教員として提供していましたが、このたび交代の期限となり、別のアメリカ人を雇い入れようとして、当人との内談はすでに整いました。そこで太田氏より東京府へ書面を出し、このアメリカ人を義塾に入れて文学と科学の教師にしたいと出願したところ、文部省の規則に、私費で私塾の教師を雇い、私的に人を教育するものであっても、その教師が本国で学科卒業の免状を得てこれを所持する者でなければ雇い入れを許さない、という箇条がありました。ところが今回雇い入れようとするアメリカ人はその免状を持っていないので、ただ語学の教師ということであればともかく、文学と科学の教師としては願いの趣旨を聞き届けがたい旨、東京府から太田氏へお沙汰があったのです。
解説

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『学問のすゝめ』六編・国法の貴きを論ず・語学と偽り官を欺くことはあえてせざるよって福沢諭吉より同府へ書を呈し、「この教師なる者、免状を所持せざるもその学力は当塾の生徒を教うるため十分なるゆえ、太田氏の願いのとおりに命ぜられたく、あるいは語学の教師と申し立てなば願いも済むべきなれども、もとよりわが生徒は文学・科学を学ぶつもりなれば、語学と偽り官を欺くことはあえてせざるところなり」と出願したりしかども、文部省の規則変ずべからざる由にて、諭吉の願書もまた返却したり。これがためすでに内約の整いし教師を雇い入るるを得ず、去年十二月下旬、本人は去りて米国へ帰り、太田君の素志も一時の水の泡となり、数百の生徒も望みを失い、実に一私塾の不幸のみならず、天下文学のためにも大なる妨げにて、馬鹿らしく苦々しきことなれども、国法の貴重なる、これを如何ともすべからず、いずれ近日また重ねて出願のつもりなり。
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『学問のすゝめ』六編・国法の貴きを論ず・謹んで法を守り国民たるの分を誤らざる今般の一条につきては、太田氏をはじめ社中集会してその内話に、「かの文部省にて定めたる私塾教師の規則もいわゆる御大法なれば、ただ文学・科学の文字を消して語学の二字に改むれば、願いも済み、生徒のためには大幸ならん」と再三商議したれども、結局のところ、このたびの教師を得ずして社中生徒の学業あるいは退歩することあるも、官を欺くは士君子の恥ずべきところなれば、謹んで法を守り国民たるの分を誤らざるの方、上策なるべしとて、ついにこの始末に及びしことなり。もとより一私塾の処置にてこのこと些末に似たれども、議論の趣意は世教にも関わるべきことと思い、ついでながらこれを巻末に記すのみ。
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福翁自伝・王政維新・始めて文部省維新の騒乱も程なく治まって天下太平に向て来たが、新政府はマダマダ跡の片付が容易な事でなくして、明治五、六年までは教育に手を着けることが出来ないで、専ら洋学を教えるは矢張り慶應義塾ばかりであった。何でも廃藩置県の後に至るまでは、慶應義塾ばかりが洋学を専らにして、ソレから文部省と云うものが出来て、政府も大層教育に力を用うることになって来た。義塾は相変らず元の通りに生徒を教えて居て、生徒の数も段々殖えて、塾生の数は常に二百から三百ばかり、教うる所の事は一切英学と定め、英書を読み英語を解するようにとばかり教導して、古来日本に行われる漢学には重きを置かぬと云う風にしたから、その時の生徒の中には漢書を読むことの出来ぬ者が随分あります。漢書を読まずに英語ばかりを勉強するから、英書は何でも読めるが日本の手紙が読めないと云うような少年が出来て来た。物事がアベコベになって、世間では漢書を読でから英書を学ぶと云うのを、此方には英書を学んでから漢書を学ぶと云う者もあった。波多野承五郎などは小供の時から英書ばかり勉強して居たので、日本の手紙が読めなかったが、生れ付き文才があり気力のある少年だから、英学の跡で漢書を学べば造作もなく漢学が出来て、今では彼の通り何でも不自由なく立派な学者に成て居ます。
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『学問のすゝめ』十編・前編のつづき、中津の旧友に贈る・我は悉皆短にして彼は悉皆長なるがごとし試みに見よ、方今、天下の形勢、文明はその名あれどもいまだその実を見ず、外の形は備われども内の精神は耗し。今のわが海陸軍をもって西洋諸国の兵と戦うべきや、けっして戦うべからず。今のわが学術をもって西洋人に教ゆべきや、けっして教ゆべきものなし。かえってこれを彼に学んでなおその及ばざるを恐るるのみ。外国に留学生あり、内国に雇いの教師あり、政府の省・寮・学校より、諸府諸港に至るまで、大概みな外国人を雇わざるものなし。あるいは私立の会社・学校の類といえども、新たに事を企つるものは必ずまず外国人を雇い、過分の給料を与えてこれに依頼するもの多し。彼の長を取りてわが短を補うとは人の口吻なれども、今の有様を見れば我は悉皆短にして彼は悉皆長なるがごとし。
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福翁自伝・王政維新・教員金の多少を争う右の通り三田の新塾は万事都合能く行われて、塾の資本金こそ皆無なれ、生徒から毎月の授業料を取集めて之を教師に分配して、如何やら斯うやら立行くその中にも、教師は皆本塾の先進生であるから、この塾に居て余計な金を取ろうと云う考はない。第一私が一銭でも塾の金を取らぬのみか、普請の時などには毎度此方から金を出して遣る。教師達もその通りで、外に出れば随分給料の取れるのを取らずに塾の事を勤めるから、是れも私金を出すと同じ事である。凡そコンナ風で無資金の塾も維持が出来たが、その時の真面目を申せば、月末などに金を分配するとき、動もすれば教師の間に議論が起るその議論は即ち金の多少を争う議論で、僕はコンなに多く取る訳けはない、君の方が少ないと云うと、「イヤ爾うでない、僕は是れで沢山だ、イヤ多い、少ないと、喧嘩のように云てるから、私は側から見て、「ソリゃ又始まった、大概にして置きなさい、ドウせ足りない金だから宜い加減にして分けて仕舞え、争う程の事でもないと毎度笑て居ました。この通りで慶應義塾の成立は、教師の人々がこの塾を自分のものと思うて勉強したからの事です。決して私一人の力に叶う事ではない。人間万事余り世話をせずに放任主義の方が宜いかと思われます。その後時勢も次第に進歩するに従い、塾の維持金を集め、又大学部の為めにも募り、近来は又重ねて募集金を始めましたが、是れも私は余り深く関係せず、一切の事を塾出身の若い人に任せて居ます。
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福翁自伝・王政維新・義塾次第に繁昌扨四月になった所で普請も出来上り、塾生は丁度慶応三年と四年の境が一番諸方に散じて仕舞て、残た者は僅に十八人、夫れから四月になった所が段々帰て来て、追々塾の姿を成して次第に盛になる。又盛になる訳けもある、と云うのは今度私が亜米利加に行た時には、其以前、亜米利加に行た時よりも多く金を貰いました。所で旅行中の費用は都て官費であるから、政府から請取た金は皆手元に残る故、その金を以て今度こそは有らん限りの原書を買て来ました。大中小の辞書、地理書、歴史等は勿論、その外法律書、経済書、数学書などもその時殆めて日本に輸入して、塾の何十人と云う生徒に銘々その版本を持たして立派に修業の出来るようにしたのは、実に無上の便利でした。ソコデその当分十年余も亜米利加出版の学校読本が日本国中に行われて居たのも、畢竟私が始めて持て帰たのが因縁になったことです。その次第は生徒が始めて塾で学ぶ、その学んで卒業した者が方々に出て教師になる、教師になれば自分が今まで学んだものをその学校に用るのも自然の順序であるから、日本国中に慶應義塾に用いた原書が流布して広く行われたと云うのも、事の順序はよく分て居ます。